漫画版『迷い猫オーバーラン! 』 矢吹健太朗先生のインタビューが突っ込み所満載な件

SQことジャンプスクエアで、連載が開始された
『迷い猫オーバーラン!』。
『紅』などに続く、集英社のラノベ
→漫画・アニメラインとしてというだけでなく、
コミカライズ版を矢吹健太朗先生が手がけるという事でも
注目が集まっていました。
矢吹先生と言えば、『To LOVEる』を終わらせたばかりであり
次にどんなものを手がけるか?というのは、興味の的。
で、読んでみたら。

→『To LOVEる』と大差ありません本当にありがとうございました。

…ラノベという出自がそうさせるのか
ハーレム主人公への「動機」が多少徹底されてるくらいで
さほど差を見出せない、ゆるめの
継続タイプの構造を持つラブコメでした。
大雑把に言えば、春菜ちゃんと古手川を合体させたような幼馴染がいて
ララとヤミを合体させたような迷い猫がやってきて
協力的でロリな天条院センパイがいる、と。(本当に大雑把)
一応、ララと同じ「来訪者」のポジショニンングにある猫さんが
「謎」を抱えているので、それが明らかになっていく事と
物語を終わらせるエネルギーとのリンクは組めそうかな、
そこは常春な『To LOVEる』との違いかな、というのはあるけれど…
それにしたって、ねえ。


長期連載から時間をおかず描き出す、
その意欲は素敵と思います。
しかし、まさか次に選んでくる題材が
「コレ」とは想像もできなかった(笑)。
この作品でモチベーションが保つってことは
『To LOVEる』も描けるもんならずっと描きたかったのかなぁ…。
と、渋々打ち切り説に一票投じたくなるような展開なのでした。
作品温度、殆ど同じですもん。
だからスターシステムというより
そのまんま、キャラクター出張してこれるし(笑)。
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で。

本編にはまあ、特別な印象はなくて
「最近ラノベ読み始めたけど、もしこれを買ってたら
 俺多分、リタイアしてたな…」
くらいの事しか、思わなかったのですが
同じジャンプスクエア掲載号の、巻末に掲載された
矢吹健太郎先生のインタビューが、色々面白すぎました。
かなりあけすけに語ってくださっていて、その点では
SQグッジョブ、とは思うけれども。けれども。
…どうなの?という部分もチラホラ(笑)。
特に気になったのは、このあたり。

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特にお色気シーンとかなんですけど、何ていうのかな…
得をするのは主人公だけ、と決めてるんですよ。
(略)
読者は、主人公なんです。主人公に感情移入して読むので
自分だけが得をしたい、主人公だけに得をしてほしい、と
思うはずなんです。独占したいと。


僕は正直、視点が複数あった方が
乗り換えて色んな景色が観られるので
ちーーーっとも、気にしないんですけど(笑)
まあ、ハーレム観としてわからないではないですよね。

ただ「決めてる」と宣言するのはどうなんだと(笑)。
別に基本感覚が「そこ」にあるのは構わないのだけれど
主義レベルでそう、と決めてしまうことは物語を硬化させてしまうし
そもそも、発想の前提が
あまりにもハーレム主人公に寄りすぎていませんかね?
ハーレムの外観を纏いながら、群像も込み…というような作品は
この作家としての「決めてる」では、生まれようがない気がするのです。
もうちょっと柔軟に捉えた方がいいと思うなぁ。
僕みたいな変態感情移入ヒッチハイカーもいますし(笑)
また、最近漠然と考えているもので、現在の読者は昔より

感情移入の相転移

をする事が多いのではないかな、と…いや思いっきり
思いつきの造語ですけど(笑)。
要は…なんていうのかな?
感情移入が過ぎると、自己投影っぷりも凄くなって
結果、恵まれた環境すぎる主人公に「違和」を感じる流れが
昨今存在するのではないかな、と思っているのです。
「俺がこんなに恵まれた立場になれるハズがない」
という心理…フィクションにまでこんな感覚、切ないですねぇ(笑)。
しかし、この感覚が働いた場合
いわゆる「主人公死ね」的な言動に繋がっていくわけですし
それは即ち、恵まれない脇役をこそ
感情移入の対象にする、という嗜好も存在するのではないかなと。

※プレイした人にしかわからないたとえで、恐縮ですが
 「つよきす」で、俺、フカヒレの恋愛成就ルート見たかったもん。
 すっげえ見たかったもん。寧ろプレイしたかったし
 主人公が恋愛成就してる隣で、
 他ヒロインとデキてて欲しかったもん。
 (この願望が満たされたのは
 『グリーングリーン』…いや、ちょっと足りないな)

個人的にも、読者は主人公に感情移入するんですよ!
と、断言されても
どっちかというと、バイプレーヤーなんかに惹かれる
俺たちはどうなるの?みたいな。
いまいち釈然としない気持ちもあって、そんなに
主人公に全てを預ける!というのは
物凄い・絶対の正解ではないと思うのですよね。
…勿論、ある一定の支持を得る施策ではあるのでしょうけど
「決める」のはどうよ、更にそれを読者に宣言しちゃうのもどうよ、と
思わずにはいられないのでした。
矢吹先生、きっめうちィ。
更に上乗せして、これ。

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それから、主人公が読者だと考えた時、
もう1つ気をつけていることがあって、
複数の女の子が出てきた場合、主人公が
自分の好きなヒロイインとは違うキャラとくっついてしまうと
がっかりするんですよね。
「自分の好きな女の子がふられた!」と。
だから『ToLOVEる-とらぶる-』でも、
最後までそれは悩んだところでしたね。
(略)
何ヶ月もかけて、原作の長谷見さんと討論したんですけど、
結局、あの終わり方が一番いいんじゃないかという。
どのキャラを好きでいてくれる人にも、なるべく
納得してもらえる方向を模索したのがあれだったんです。


…あれ、「一番いい」んだ…(´・ω・`)
ていうか、数ヶ月かけたんだ…(´・ω・`)

当時、記事で色々推察したことの答えが出てきたような気分です。
当時書いたのが↓。
リトが選ばない方(ララ)に対して
軽薄でない、不実でない見せ方になる事を徹底しようとして
その為に、少しでも選ぶ側に意識が残る描き方は
避けた、という面があるように思えます。
(略)
つまり、主人公・リトに対して
気を遣いまくった結果が今回の「変」な理由じゃないか?と
僕は考えているわけですけど

リトを「読者」に置き換えると、殆どインタビュー通りです。
ていうか、ほんと、気を遣いまくりすぎだと思いますけどね(笑)。

ここは好みの関わる部分、と断った上で言うと
僕は「選択」の物語が大好きです。
これまで特に好みの物語類型はない、雑食です、と思ってきていて
まわりがやれ英雄だ天才だ王だと言っていても
特別な何かにシンパシーを感じる事はなかったんですけど
実は「選択」が好みのようで。それに伴う「断念」も好みなのです。
…で。
矢吹先生のこの考え方でいくと、彼は今後も
ライフゴーズオンのなあなあラブコメしか、描けないんじゃね?
という危惧が、強烈に湧き上がってくるのでした。

この考え方の怖い所は、読者に気を遣いすぎるあまり
(ジャンプの処世術?)
「読者ががっかりする」事それ自体を恐れ
その中身を問わず、がっかり即悪!という捉え方になっている所。
例えば、同じ誰かを選ぶ物語があったとしても
そこに、その人を選ぶに足る理由付け、
演出の積み上げが有るか無いかで
まるで印象は異なるはずなのですが…
「がっかり」そのものを恐れ、避けるやり方を取った場合
技巧的に必然を積むような
「選択」の描きを、放棄しているも同然で。
…こんなこと、宣言しちゃっていいのでしょうか?
少なくとも『To LOVEる』の問題点は
誰かを選ぶことではなく
誰かを選ぶに足る積み上げが存在しないことだ、というのは
前記事で触れたとおり。
しかし、その問題点を素通りして
ゴールの、外観だけの「みんな満足」を「一番いい」と
言ってしまうのは…
恋愛物語としての、演出力の成長をも阻害する気がするのですが

重ねて、こんなこと宣言しちゃっていいんでしょうか?

「決めてる」と「一番いい」で、『ToLOVEる』の謎が解けたと同時に
矢吹さんという作家に、物凄い不安という名のモヤがかかった
とても恐ろしいインタビューでしたとさ。
…いや、少し考え方拡げた方がいいと思います、まじで…orz

まあ、1つの道を突き詰めるのもアリなんですけどね。
作家は沢山いるわけだから、その中で自分のフィールドを定めるのも。
ただ、このインタビューを「前提」に進むのなら
まぁ自分とは最悪の相性なんだろうなあ、と(笑)。
そんな僕の、駄々なのでした。
ちくしょおお、選ぶ物語最高やああorz
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