『放課後ウインド・オーケストラ』全4巻 持たざる焦燥も抱きしめて

『放課後ウインドオーケストラ』を4冊纏め読みました。
「どこかで話題になっていたな…」くらいの、
ザックリとした引っ掛かりで一気読み。
4巻はあっという間ですし、面白かった。
面白かったというより、もっと当てはまるのは
特異…レアだなあという印象。
1つの類型を象徴するようなタイプなので「放課後~のように」
などと、引き合いに出すことが増えるかもしれません。
そういう意味では、読む価値はありまくりんぐ(古!)でした。

放課後ウインド・オーケストラ 1 (ジャンプコミックス)
集英社
宇佐 悠一郎

ユーザレビュー:
主人公は「チヨコー吹 ...
若いときに読みたかっ ...
とても良い作品です。 ...
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ商品ポータルで情報を見る

うは、絶賛の嵐!?
怖いので内容読むのは後にしよう(笑)。

部活モノ、というジャンル内で分類を行う場合、
色々な分け方がありますが、今回
「持つもの」「持たざるもの」という分け方で語ってみます。

持つ持たないとは何をさしての事か?というと
その分野において、「上」に行く為に必要な要素の有無。
それは、才能だけとは限りません。
才能、人並みはずれた努力の根拠となる
強烈な動機或いは愚直な継続性など、全てひっくるめて
上の世界にその手を伸ばせる、サムシングを持っているか否か。
(才能がなくても、その才能に挑まんと地獄の努力を行えるなら
 その時点で、その人は特別な努力の才を、力への渇望を
 或いは特別な動機を、既に「持つもの」です)
これを有する「持つもの」の物語は、縦の物語。
「全国大会」に象徴されるような、相手を蹴落とし
更なる才能に打ちひしがれ、なお踏み越える…
そういった過酷で華やかな、部活動マンガの王道。

では、「持たざるもの」の物語はどうなっていくか。
1つ、抜け道的な解答として最近もてはやされているのは
「持つ持たないの分け目となる、部活内の縦軸
 ステージの上下という価値観そのものを放棄する」
という、物語のない物語の生成。
いわゆる「ゆる部活モノ」ですね。『けいおん!』等。
「ゆる日常モノ」との差は、同好の士である事による
連帯感の強調でしかないので、
ゆる日常ものと括ってしまってもあまり差し支えなく、
今回の話題からは逸れた所にある解答なので、とりあえず放置。

そこで今回の本題であるもう1つ、
「持つもの」の物語のカウンターとして存在するのが
「持たない自己を肯定する」という物語。

俺達は頑張った。
天辺には届かなかったけれど、得たものはあった!(絆、根性…)
それ以外にも各々の達成は存在する!
あの日々はムダではなかった…!と、いう類。

部活動の本質は勝利のみにあらず、
というテーマを浮き彫りにできるので
使い勝手は良いものの、一方で、加減を間違えると
ただの自己憐憫、弱いことへの言い訳、妥協のように聞こえてしまうのが
難しい所です。
このタイプとして最近最も印象深かったのは『フープメン』でしょうか。
週刊少年ジャンプであっさり打ち切られた漫画でしたが、面白かった。
この作品もまた、残した結果以上に語られることは多いと思います。
フープメン 1 (ジャンプコミックス)
集英社
川口 幸範

ユーザレビュー:
リアリティーのあるバ ...
絵に好感が持てないい ...
読み手を選び、ほとん ...
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ商品ポータルで情報を見る

主人公ユーホは、優れた身体能力を持つでもなく
チームメイトのジョシュや鐘と比べれば、「凡人」としか言い様のない存在。
けれど、継続してバスケに打ち込む事で、それなりのものにはなったし
(シューターとして活躍)超とは言わずとも、強豪校にはなった。
その中には勝利とはまた違う、自分にしかわからない
自己実現や達成感もあったんだ、という物語でした。
結果的に彼はシューターとして成長し、優れた才能を持つ
チームメイトからも、必要な戦力として認識されていますが
しかし、その彼自身が思う「高校三年間でのベストプレー」は
最も上達した&チームが強かったであろう時期とは少し違う
二年次のプレーであったりと
(三年じゃないのが素晴らしい!
それこそ、「持つもの」なら3年間上昇一途、
最後の試合が最高の俺、の所)、
絶妙にチームとの距離がとられた所で、
彼自身の達成感は存在していました。

『放課後ウインド・オーケストラ』も、系統としては
「持たざるものたち」による物語で、ゆる部活モノではない
=こちらのゾーンに属する作品…なのですが、
大きく違う所があって。
単純に言えば『フープメン』ほど達観していない、できない、というのが
本作を特別な存在にしている、ポイントなのでした。
『フープメン』の主人公ユーホは、さほど迷う事もなく
他プレイヤーとの才能の差を受け入れ、
そこから「そんな俺にもできること」にスムーズにシフトしていった。
それはカッコイイ事ではありますが
一方で、思春期の若者がここまで順調に「次」に進めるか?
という違和感もありました。ユーホはある意味、立派すぎた。
あまりにスムーズに「俺は俺、俺の中の達成感」にシフトした為
それを見ている読者は、本来「持たざるもの」であるはずの
ユーホを「凄い」と思ってみてしまう。
言い換えれば、その点でもって
何か「持って」るように見えてしまうのが、ユーホという存在でした。
(結果的にも、トップとは言わないまでも強豪のシューターになったし)
それは、『フープメン』という漫画を愉しむ分には、何の問題もない部分。
けれど、「持たざるもの」の物語、として捉えようとした場合は
若干純度が下がってしまう部分でもありました。

その点、『放課後ウインド・オーケストラ』は見事でした。
この物語は、どこまでも、徹底して
「持たざるもの」でした。その純度の高さが稀少な所以。
ユーホが軽やかに飛び越えていった部分で惑うからこそ
「持たざるもの」の物語として、とても現実的な匂いを纏っていて…
そう、ほとんどの人は、
本当に「持たざるもの」は、なかなかサッとは通り抜けられない。

結論から言えば、最後まで
コンクール地区大会も突破できない作品です。
それは、全校に賞が与えられるというシステムの中での
最低賞である「銅賞」という結果にキッチリ現れている。
ここを、「俺達頑張った」の強調で凌ぎたいなら
銀賞、あるいはハズレ金賞(次には進めない金賞)は
確実に獲るでしょう。
「甲乙つけがたかった」と強調しつつも
銅賞にする事自体、
作者のセンスが強く出ている所だと思いますが

とにかく主人公特権を与えない。

そもそも、夏合宿までいった先(3巻)で
練習が続かず、ユルんで
トランプを始めてしまったりするのは、
上昇志向の部活モノ視点からすれば
明らかに「瑕疵」ですよね。
精神の捧げ具合でもって、既に振り落とされている。
合宿終盤、強豪校・賢洋高校のコンサートを耳にして
目が覚め、水泳大会中止!全体合奏!
というスケジュールに組みなおしますが
それだって、まさに賢洋高校がそうであるように
1つ高いレベルで吹奏楽に打ち込んでいるなら
そもそもその「水泳大会」という選択肢自体がないはず。

もちろん、だからといって
彼らの行いが無為と言うわけではありません。
他校と比べれば遅い気付きだったにせよ、水泳大会を取りやめ
合奏にしたのは、紛れも無い彼らの成長であったでしょうし
その「彼らなりの成長」は、様々な人が
手を変え品を変え口にしている。

素人の君が作った部活に「なんとなく」
毎日人が集まってくる
それは本当にすごいことだよ
  ―月川恭一(4巻)


(ハハ…そんときまでに 上手くなってたら……
  ―平音佳敏)
なってるわ 毎日…
  ―松田梓(2巻)


しかし、そうやって日々の成長を念押ししつつも
与えられるのは、銅賞。
ここにあるのは単純な事実で、
相手がコンピュータでもない以上
皆、同様に「上手くなって」いくし
その取り組みや能力の差は、各々の成長とは全く別次元で
結果を突きつけてくる、ということ。
そこで特別な才や動機を持つでもない
「持たざるものたち」が、彼らを凌駕できる理由は無い。

他の学校の部活よりデコボコな道のりをやってきたって…
そう思ってた
でも きっとどこもそうなんだよね
どこも 誰も 色んないきさつがあって部活に入って
いろんなトラブル乗り越えてここに集まって
それぞれの努力や友情や思い入れをぶつけて
今日の演奏があった
それは私たちだけじゃない
どこも一緒なんだよ どこも
  ―藤本鈴菜(4巻)


そうね 私たちの思う精一杯を
当たり前としてやってきている人たちがいる
例えば体が辛くて 練習を休んでしまいたい日や
あと10分寝ていたい朝や
そんなものを乗り越えてきた人たちが
先に進んで行くの
  ―松田梓(4巻)


悔しさすら味わう事を許さない、単純な現実としての差。
作中で「不満とも満足ともやりきった感とも違う」と表現されている部分は
言葉にするのは難しく、正確には不可能かもしれませんが
「持たざるもの」としての自己確認、焦燥感(くすぶり)
のようなものと思っています。
自分は、持っていない。
持っているものたちが自分たち以上に努力し、一喜一憂している。
そこで悔しがる権利すらない自分という気付き。
そんな時、スムーズに「自分のできる事をやっていけば
自分なりの満足を得られるさ!」と言う所に
たどり着けない人はどうすればいいか、という部分に関しての
梓先輩の発言が秀逸でした。
(っていうか、梓先輩どう見ても最高だよね)

覚えていられる?
無理に言葉にしなくていいから
今のあなたの
その胸の中の感情を
そのまま 覚えていられる?
  ―松田梓(4巻)


I'M ON FIRE - 稲葉浩志

「持たざるもの」が、「楽しい部活(けいおん!)」に行くでもなく
利口に「自分なりの達成感(フープメン)」に行くでもない場合
求められるのは、自らが持たざるものである事を認め、
そこから想いを抱えたまま歩む必要がある、という事。
これは本当に、茨の道でしょう。
「特別な努力をし続けられる才能」を持っている人は、既に
「持つもの」ですから(例えば『はじめの一歩』の幕之内一歩のように)
そうではないものが、胸にくすぶるその風、或いは炎を
持ち続けていられるか、というのは、とてつもなく困難な道。

だからこそ、主人公・平音は
エピローグで「吹奏楽、ずっと続けます!」という結論に達しない。
とりあえず文化祭まで、次のクリスマスコンサートは
その時に考える…これが本作の素晴らしい部分だな、と思うのですが
徹頭徹尾「持たざるもの」である平音君は、自分の胸にある感情が
ずっと消えずに、そのまま持っていられるかの自信がないのですね。
それは、彼が特別な「持つもの」ではないから。
だから彼は1つ1つのイベントに取り組み、その後で
自分の感情を確認してから、次に行くかどうかを決めようとしている。

とても厳しい、持たざるものへの視点。
けれど一方で、ヒロイン藤本はこうも言う。

いいじゃない どんな未来を想像したって
だって 若いんだもの私たち

  ―藤本鈴菜(4巻)


ここまで峻厳な、持つものと持たざるものの差を描き続けて
その上で「どんな未来を想像してもいい」と言ってのける。
そこには、現状での達成感を模索していく
『フープメン』のような、賢い物語では描けない
可能性があるかもしれない。

そう、だから『放課後ウインド・オーケストラ』は
現実に対してシビア、
同時に
可能性に対して寛容な
「持たざるもの」への現実認識と叱咤激励の物語
、なのですね。

正直言って、女の子の描き分けはイマイチだと思うし
色々物足りない部分もあったのですが
「この視点」にかけてはガチの作品だと思っています。
こういう部分に到達するかどうかは、漫画のうまい下手とか超えて
もう、見識とか思想レベルの話でしょうからね…
作者さんの次の歩みに期待しています。

で、それはそれとして梓先輩が大好きです←

この記事へのコメント

匿名
2010年01月18日 17:49
「フープメン」も「放課後ウインド・オーケストラ」も
打ち切られた漫画という共通点が存在するのは興味深いですね。
ルイ
2010年01月20日 18:26
匿名さん、そこはやっぱり
少年漫画における「熱」の必要性というかな。
強烈なモチベーションで牽引する物語が基本なのだとは思います。
『ちはやふる』だって、少女漫画なのに少年だー熱血だーと大絶賛ですし。

でも、そちらに明らかに需要があるからといって
描きたくなったら止められない、というか。
勿論それを掲載するかどうかは編集部判断なので、例えば『フープメン』で
「当たる」と考えたなら、それは結構な読みの甘さですが
…でも、物語として世に出た以上、あとはもう
その物語としての達成に到達できるかどうか、が大事だと
個人的には思うので、どちらもステキな作品だとは思います。

この記事へのトラックバック