漫画・数学ガール(上)

数学という言葉をみるたび
全身の肌は粟立ち、不整脈に。
冷たい汗が流れ落ち、頭痛と吐き気が収まらなくなる。

大げさに書いちゃった。

数学は苦手です。
本当に苦手かどうかはさておき、苦手意識はある。
高校生の頃、遊びすぎたツケを払うため
半年で偏差値を40上げるには何を切り捨てよう、と考え
(つまりそれまで偏差値30だったって事だよ!某CMかよ!)
半ば切り捨てたのが数学・理系科目でしたので…
数学に対する負い目・引け目のようなものがあるのです。

ゆえに、このタイトルは敷居の高すぎるタイトルでしたが
漫研のLDさんが「ルイ読め。バカ。読めこの野郎」
(若干?誇張表現)と仰るものだから…

 ○< ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
     γ        )
     (二二二二二二)
    /ノヽ       ヽ、
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画像

数学はね、言葉を大事にするんだ

作中ではサクッと触れられている事ながら
「元々これを言いたいが為なんでしょう?」
という感覚がある。これが根っこの主張ではないのかと。

文系・理系という大きな括りをする際、どうしても
理系=数学は機械的という印象が強い。
アナログに対するデジタルのように。
でも、数式を解く作業にも血肉が通っているんだ、という
主張ありきで物語を作っているのではないでしょうか。

画像

これも、そのまま「物語の読み方」の話に通じてますよね。
いわゆる文系(国語)と理系(数学)は対立項じゃないんだ、
生き別れた双子のようなものなんだ、という事を
もっとも綺麗に表現できるのはどんなシチュエーションか、という逆算で
キャラクターや舞台は決められたんじゃないか、くらいの印象を持ちました。

国語であれ、数学であれ
言葉を大切にすることには変わりがない。
ではどこが違うか?というと、作中で言っている通りで
「最も厳密な言葉」が数式。

逆に、国語なんかは物凄く曖昧じゃないですか。
例えば国語の試験などでも、解いていて、
出題者に合わせてあげるといった感覚ありませんか?
5択問題などで(そもそも選択させる時点で、もう推理ゲームですね)
結局どの選択肢にも突っ込みは入れられるのだけれど
他の選択肢との関連上、まぁこれを答えにしたいのだろうな、という
一番マシな、妥協案的な解答というかな。
大体パターンとして
引っ掛けを用意しないと振り落としとして機能しないから
ちゃんとした解答には、大概デコイ…おとりじみた選択肢が
グラディウスのオプションみたいに(意味不明)
ついてくるんですよねー、とか。
それだけで答えを2つに絞れたり。

まぁそこまで行くと読みすぎて気持ち悪いかもしれないけれど
どちらにしても、出題者と
曖昧さという共通理解の上で対話する所がある。
もちろんそれ自体は、別に
厳密な言葉に対して劣るのだ、という話ではないのです。
出題者という相手の視点を意識して「読む」行為は、
人それぞれ~な相対主義を刻むきっかけになるでしょうし
その後構造構成主義なりに至るかどうかは別にしても
1度他人の視点に乗っかる感覚を経ておく事に
損はないと思います。
皆が皆、そういうスタンスで国語やってたかはともかく(笑)。

でも、数式(数学)は厳密。

このちゃんと読み込めば伝達にブレがなく
知りたいと思い、そこにまっすぐ歩めば
まっすぐに解答が導かれる、というモノと
青春物語を結びつけたとき、何が起こるかというと
まず「曖昧なものと、明確なものの相克」であり
また同時に、互いが互いを補いあい、暗示しあい
どちらにも進みうるような、なんともいえない
深い、豊饒な味わいを物語にもたらす。
これは本当、個人的には「発見」と言っていいくらいのものでした。
凄い組み合わせがあるものだニャー。
こういう人が納豆コーヒーゼリーサンド作るんですよ…。
まるで青春の対位法やー(棒読み)。

※ちなみに、オーナーが生クリームの上に
 納豆を落としてしまったことから生まれたらしい。
 意地でも納豆をキープしようとして
 中和目的のコーヒー味にたどり着いたのでしょうか(笑)。

ちょうど、この漫画を読む前に「ささめきこと」を読んでいて
その時青春について触れました。
青春、というと少し言葉が足りなかったでしょうか、
青春の恋愛、についてこう触れた。

『ささめきこと』4巻 青春は、14番目の月でできている
~青春の感情を形成する要素~(仮)
・14番目の月
・感情の誤配置


踏み込むのを恐れることも、
抱いた感情を表す言葉が見つからず
今自分が知っている感情に無理やり当てはめ、納得しようとすることも。
青春における恋愛は、いつも曖昧さに満ちている。
先ほど意識せず、国語にも「曖昧」という言葉を使いましたが
だからこそ文学的なものと恋愛、というものは
鉄板の相性を誇ってきたのでしょう。ベクトルがブレないですからね。

でも、そこに言葉に対し明確で厳格な、しかし
決して曖昧な感情と敵対はしていない数列を組み合わせる事で
(だって、数列も「言葉」ですから)
作品に、物凄い芯が一本通る。

例えば、不思議な行動をとるヒロイン、ミルカさん。
彼女の一見読み取れない行動も、「数列」とともに語られる事で
何かそれには解法があり、「心の目」を使えば
見抜けるものじゃないか、とすら思えてくる。

もっと強引に読めば、何故主人公「僕」やミルカさんは
数学というものに惹かれてきたのか?なんて所にまで思いが至る。
感情に対する敵視(いわゆる、機械は嘘つかないんだもの系)から、
ではないはずだ。それなら言葉、心の目というキーワードは出てこない。
ただし、敵視とまではいかなくても、それら感情に疲れていたり
救いを求めていて、それが趣味として現れたたのかもしれません。
数学は、青春真っ只中にある彼ら彼女らが抱く
曖昧模糊とした感情にも
それこそ数列に見合うような明確な答え、ゴールがあるものだ、と。
あってほしい、と。
そしてそれは数列のように、見つけられるんじゃないか?という、
そんな願望を持ったもの同士としての共通した趣味にも見えてくる。
それなら、数学を志すもの同士、として強烈な繋がりをもつ
「僕」とミルカさんの関係性も納得できる。

上記はもちろん、作品の構造・テーマという類ではなく
深読みすれば「読める」という話です。ただ

なかなか答えの出ない恋愛物語。
きっと答えが見つかる数列。

この2つを同列に並べるだけで、こういった読みが
ボロボロと沸いて出てくるんですよね。
原作者の結城先生が、あまり無理をしていないのがなお奏功していて
キャラクター造形などで、あまり頑張りすぎていない。
自分がキャラもの畑の住人ではない、という自覚からか
こういう風にキャラクターを立てよう、と考えて
パッチワーク気味に性格やエピソードを与えていくのではなく
とにかく、数学に向かうミルカさん、それに見初められ、憧憬する「僕」、
その世界に追いつこうともがく後輩テトラちゃん、という…
この構造で押し切ろうとしている。このシンプルさが、あたかも
白と黒の鍵盤だけで構成された、ピアノのように

Ebony & Ivory Paul McCartney & Stevie Wonder

 ※人類融和をピアノに例えて歌った曲だYO。
 おっと油断するなよ、私いつなんどきでも
 音楽と評論のこじつけを狙ってるんですぜ?

…コホンヌ。とにかくそう、そのシンプルさゆえに
個別のキャラクターを読み込む、というよりはもっとコアな
曖昧な感情と、明確厳格な数列
というものの対比に意識が集中するんですよね。
ホント、見事な作りです。

お陰で下巻を読む気がなかなか起きない。
例えばこの物語を単に
きまぐれ☆オレンジロード的な「恋愛物語」として読むならば
数学によって運命的とまで言えるつながりをもった
ミルカさんと「僕」。そこに挑む、「僕」に片思いのテトラちゃん。
テトラちゃんの描写に若干力が入っている気もするので
基本的には「どこまでいけるの、テトラちゃん!?
打ちひしがれ涙を流すの、テトラちゃん!?」みたいな
読みになってしまうのですが。
…何せありふれた青春物語に対しての
数学、というものの設置が物凄く強烈なので、
展開自体があまり気にならない。
答えに数学があるという事は、ぶっちゃけ
「トライアングラー」で終わってもいいわけですよね。
僕はミルカさんが好きだ、でもテトラちゃんも凄くキラキラしている。
ああ、どうしよう…でも、この感情にもきっと答えは出る。
だって数列も感情も同根なんだから。

FIN

みたいな。こう、単純なキャラの「勝ち負けベクトル」?
正直嫌いな視点ですけど、それを使って読む気が起きないという
稀にみる「発見的作品」でありました。

・オマケ~ミルカさんってなんなのさ~

作品が始まってからのミルカさんは、実はさほど難しくありません。
テトラちゃんの座っていた椅子をイキナリ蹴飛ばす、という
なかなか電波ゆんゆんな行為も行っているものの
それも、あくまで行為だけ抜き出すとキテレツですね、というだけで
感情の流れとしては、まあ普通ではあるでしょう。
(もうちょい社交性もてとは思うが、多分
数学界にしか住んでないんでしょう。あれ?友人のエィエィは?)

でも。きっかけには些か疑問が残る。

実際のところ、ミルカさんは何故「僕」を選んだのだろう?
どうやらミルカさんは「僕」に対して唐突に数列クイズを出題し
それを解いた「僕」に対して、自分と同じ
数学世界の住人だ、と認めたようなのですが
じゃあ何故ミルカさんは最初に「僕」に数列クイズを出したのか?
涼宮ハルヒみたいに大声で
「6、2、8、2、10、18。この数列を解けるものだけ来なさい。
普通の脳みそには興味ありません。以上!」てな事はやっていないわけで
「僕」ピンポイントなんですよね。
ここに疑問は残る。「僕」、数学好きオーラでも醸し出してたの?
…でも、それも圧倒的に強烈な
感情と数学という組み合わせと、単純な構造さえあれば
下手な描写をするくらいなら明かさなくてもいい、
とすら思えてきますね。
描写するなら納得させて欲しいし
それができないくらいなら、踏み込まない方がいい。
そしてこの「数学ガール」という作品は、ことキャラクター描写においては
「踏み込まない(無理しない)こと」が、実に
プラスに働いている作品なのです。

個人的には、少数派と理解しつつ
「実はミルカさんの一目ぼれだった」あたりを期待してます(笑)。
数学によって運命的な繋がりを持ったんじゃなく
運命的な繋がりを持とうとして数学でアタックしてみたら
繋がっちゃった、これホントの運命ね!というか。
…ワンクッションずれるだけですが、個人的趣味としては
重要な部分です(笑)。
んー、やっぱり数学好きのオーラが出てたかなぁ…
多分僕も、街歩いてたら
「あ、高垣彩陽好きですね!」と見抜かれるでしょうし(?)。

フウ。最後の一行で強引に繋げましたが
当ブログは声優・高垣彩陽さんを応援するブログなのですよ。
ミルカさんの声はあやひー←定例行事

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