週刊少年チャンピオン『バチバチ』 溢れ出る熱量と敬意

週刊少年チャンピオンで連載中の『バチバチ』。
大関の息子にして元不良の鮫島鯉太郎が
横綱の頂を目指して突き進む、長篇の相撲漫画です。
6巻にして、未だ十両すら天上人に見えるゆったりとしたペースは
横綱に辿りつくまで、何巻かかるのか?
そしてそこまでに熱が続くのか?といった不安もある。
しかし、今だからこそ!という時流に乗った連載でもあるのでした。

連載が軌道に乗りだした頃、
現実の大相撲は不祥事まみれ。
大麻で騒いでいた頃など可愛いもので(可愛くねーよ)
現役力士が姿を消し、名古屋場所はTV中継されず、と
まさに大揺れ。
そのあたりの間の悪さを指して
「チャンピオン作品らしい不運だ」と言いたくなるところではあるし
実際、当時はそう思いました。
スポーツ漫画には、
元のスポーツの人気にあやかるという側面もあるのに
(ワールドカップ周期でサッカー漫画が始まったり)
そこを殆ど封じられてしまったわけですからね。

しかし、ポジティブに考えれば
またとない機会とも言える。
大相撲のイメージが失墜した今、
守るものは何一つない。
ただただ、自分の信じる「大相撲の素晴らしさ」を語っていけば
ちょうど大相撲の評価と、
漫画の評価がリンクして上がっていくかもしれない。
『バチバチ』は、それを愚直なまでに行なってていて感動的です。
部外者の僕ですらこう思うのだから、当の相撲協会に至っては
もう、神棚に飾ってもいいくらいだと思いますよ、ホント。

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伏兵渡部にまさかの敗戦を喫した鮫島鯉太郎が学んだのは
「どんな番付の低い力士も、それぞれのストーリーで頑張っている」という事。
言葉にすれば当然ながら、実感を伴わせる為には
『バチバチ』くらい、番付をショートカットせず
じっくり描く必要があったでしょう。

この回で描かれているのは「鯉太郎がナメていたか」という部分。
冒頭、解説役の田上さんが判定した通り
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油断はないよ…鮫島はそんな奴じゃない

油断はなかった。
しかし結論としては、最初の画像にある通り「ナメてた」。
このズレをどう捉えるか、というのがこの回のキモ。
田上さんのような、解説を請け負うキャラクターというのは
作者の「読んで欲しい方向」に誘導してくれる、視点の高いキャラクター。
よって、大外れなんて事はあまりない。
「油断はない」も、一定の真実を有していると捉えたい所です。

鯉太郎には、油断はなかった。
普段通り全力で、バチバチのぶちかましを仕掛けていった。
その結果の変化による勝敗は、まあ確かに田上の言う通り
相性の問題と言ってしまえば、それまでとも言えます。
無敗の力士などいない。こういう負けも、飲み込んで
それでも稽古を信じて突き進むのが、正しいあり方かもしれない。
けれど鯉太郎は、意識の底にある自分の「ナメ」の根っこに気付いたわけです。
それは、自分の持っている物語性というもの。

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違うんだ白水さん…
俺がココにいる重さは…覚悟は…


部屋の先輩、白水に
「自分だけが特別だと思うな!!」と叱られた後のモノローグ。

鮫島鯉太郎の持つ物語は、間違いなく重たい。
大関火竜を父に持つ時点で、限られた存在ですし
その相撲にリンクしたストーリーは、確かに稀有。
その点でもって鯉太郎が「違う」のは、正しいとも言える。
こう言ってしまうのはなんですが、彼が「違う」からこそ
『バチバチ』という漫画は、鮫島鯉太郎が主人公なのです。

ただ一方で、その「違い」は、その「特別さ」は
他の人の「違い」と「特別さ」を食い潰しはしない。
白水の指摘は「テメーなんざ
その他大勢の1人に過ぎねーんだよアホ!
俺もそーだからだ!!」という角度からのもので、
だからこそ、特別な物語を有していると自負する鯉太郎も、
思わず反発したのでしょう。
しかし、そんな鯉太郎でもすんなり飲み込める言い方、考え方がある。
それが「俺は特別な1人。皆も特別な1人」という捉え方。

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目を見開けば、自分の周りにいる力士全てが
目の前の勝ち目指し、裸一貫で、後ろのない道を走っている。
その事を認めた時、鯉太郎は「ナメてた」事に気付いたのでしょう。
つまり、これまでも鯉太郎に油断はなかった。
土俵の上では常に全力、100%を出していた。
しかし、そこには
「(自分は濃密な物語を背負って、覚悟もある。
だから自分が自分の相撲を取りきれば、それで勝てる」
という類の意識があった。
一敗しただけで「無駄だったのかよ…」と口をつかせる心境とは、つまり
相手を一個の人間として見る意識の不足。
やりきれば勝てるはずだ→負けた→無駄だった?
この思考の道筋に、「勝とうとして頑張る相手」はいないのですよね。
そこに気付いたのが、鯉太郎が一敗と引きかえに得た大切な宝だし
そして、それこそが「大相撲再評価漫画」としての『バチバチ』の在り様なのでした。
下位の下位も、全力で自分の物語を戦っている。

ここで思い出すのが、ヤングジャンプで連載中の
将棋漫画『ハチワンダイバー』。
最近、漫画監修の鈴木大介八段が登場し、
その異様なカッコよさに皆しびれまくっています。
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カッコ良すぎて笑った泣いた濡れた。

漫画では、すぐ「世界チャンプ」だの「名人」だのと言った
頂上を出してしまう為、どうしても「その下」への意識が甘くなる。
悪く言えば「ナメてしまう」。
「八段?ああ、九段じゃないんだ」といいますかね。

しかし、プロってのはそもそもトンでもなくすげーんだと。
この八段のカッコよさを見てみろ、これが名人じゃないんだぞ、と。
つまり、プロの上のクラスは揃いも揃ってこれくらいカッコいいんだよ、と。
そう熱く主張しているのが『ハチワン』で、
鈴木プロがタイトル保持者でない事が、
逆にまだ上がいる、という「プロの厚み」を表現する上で機能するという
とんでもない妙手になっています。
この視点というのは、おそらく将棋を志した事もある
柴田ヨクサル先生自体が、作品の主人公同様に
「プロを憧れみた」視点を持っている為、
それになった連中は、本当に化物なんだよ!!
と思う、強い敬意あっての事なのでしょう。

『ハチワン』の敬意は、凄みという形で昇華されている。
一方『バチバチ』の敬意は、下っ端も下っ端の皆に
物語を付加する事で、真剣さという形で昇華している。
描き方自体は違うのですが、共通しているのは
「その世界に入るというのは、凄い事なんだ」という意識。
相手を称える、認める事もなしに
やれ不祥事ばかりの相撲イラネだ、好き勝手を言うのが
僕ら一般人ではありますが、そこにこういった作家たちは
熱量でもって、そうじゃないと訴えかけてくれる。

プロ棋士はかっこいいし、
力士は幕下であれ退路のない世界に必死に生きている。
これが本当の「再評価」の形ですよね。
こういった作品を読むと、すぐマクロ視点で纏めようとしてしまう
自分も、反省させられる事しきりです。
そして、今幕下の力士たちをここまで丁寧に描くこの漫画が
それこそ、鈴木八段の領域…
「幕内」「三役」などを描いていく時
そこにどんな描きが加わっていくのか、楽しみで仕方ありません。
以前ヒトコマだけ描かれた外国人大関も、何か後光纏ってましたしね…。
全ては敬意から。そして、それを最下層から行う
実直な『バチバチ』を要チェックなのです!
あと相撲協会、佐藤タカヒロ先生に感謝しときなさい!

おまけ

それにしても今回の『バチバチ』は、他にもいい所がありました。
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たまたま運がよかっただけですよ…
次は同じ手通用しないでしょうし…

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実力があるから運がついてくるんだよ

特にこの流れの、鯉太郎の目の描き方が素晴らしい。
最初に渡部が謙遜している時、目を塞いだ鯉太郎は
その声を聴きながら、実際に
「運が悪かった」からで、「次は同じ手を通用させない」と思っていた事でしょう。
目を開けられない所、鯉太郎が納得できない様、悔しい様
そしてそこにまだ潜む「ナメている様」が、よく出ている。
しかし、力があるから運がついてくる、という自分にとっても同様の
「真理」を渡部に適用される事で、急速に渡部が、
そして周りの力士たちが「人」に見えてくる。
うーん、上手い!熱いだけでなく、技術の支えもバッチリです!
相撲協会は危機の最中、偶然連載している相撲漫画が
こんな素晴らしい漫画である事からして
まだツキは残っていますよ。
そしてその「ツキ(運)」は、これまでの何十年にも及ぶ
力士たちの「努力(実力)」の結果としてついてきたわけです。
まだまだ土俵は割っていないのだから、頑張って欲しいものです。


バチバチ 6 (少年チャンピオン・コミックス)
秋田書店
2010-08-06
佐藤 タカヒロ

ユーザレビュー:
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http://twitter.com/rui178 
好きな力士は千代の富士である僕が呟いています(関係ない)。

この記事へのコメント

hatikaduki
2010年08月21日 23:09
今回の一敗が持っていた重さやロマンティックさを、話の終わりに姉ちゃんが蹴っ飛ばしちゃうことで主人公が回復するってのがまた気が効いてて良かったですね。
ルイ
2010年08月22日 00:11
hatikadukiさん、コメントありがとうございます。
姉ちゃん、別に「そこで凹むな!」であるとか「前を向け前を!」といった、道標としての機能は表に立っていないんですよね。基本的にはツンデレ処理。でもそれが鯉太郎のモードを「日常」に無理なく接続してくれたわけですね。姉ちゃんデレろ~(笑)。
にわっち
2010年08月23日 01:43
ニュース系サイトから飛んできました。
バチバチおもしろいんですが、ブログで取り上げているところが少ない気がします。
正統派は取り上げにくいのかと疑問を持ってます。

このブログが初めてでした。
素晴らしい考察で驚きました。今週号読み返したいとおもいます。
またバチバチ取り上げて下さいね。
ルイ
2010年08月24日 01:32
にわっちさん、コメントありがとうございます。なるほど、どこかで取り上げて頂いたのか。アクセス数にびっくりしました(笑)。

これは良い悪い無関係で、『バチバチ』は衒いがない作品じゃないですか。裏読みをする類の作品でもないし、それこそ作品通り、裸一貫でバチバチしている。だから敢えて言語化したくならない、という「取り上げたくならない」感覚はあるかもしれません。にくいというよりは。

ただ、僕はどちらかというと新説を提唱したいというより「だからいいんだよ!」をそのまま書きたい方なので…だから書いたのかもしれません。自分を特別にしたい気持ちはないので「面倒臭くて書く気は起こらなかったけど、確かにそう思ってた」と言われれば本望ですね。

でも僕も、空流部屋の娘は三姉妹が正しい~とか言っててスマンカッタ(笑)。いや、椿が次女、長女におおらかなナイスバディ、三女に内気な幼女を…おい既視感ありすぎるぞ俺。

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