クリント・イーストウッド週間 その3『ミスティックリバー』(2003)

クリント・イーストウッド週間だよー。
先日の『許されざる者』の時点で、ああこの人は
「週間(習慣)で観る人じゃないな」と気付いてしまったのですが
↑うまい事言ったつもり
1度吐いた唾は引っ込む事ができない、
それこそ、イーストウッド映画がそう宣言し続けているように。
…などと一寸かっこつけた事を言いながら
今日も黙々クンフー、本日は『ミスティックリバー』2003年作品。

ミスティック・リバー 特別版 〈2枚組〉 [DVD]
ワーナー・ホーム・ビデオ
2004-07-09

ユーザレビュー:
勿体ない題材はおもし ...
う?ん正直言ってテー ...
結局のところ、被害者 ...
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本年度アカデミー賞主要2部門受賞 主演男優賞:ショーン・ペン 助演男優賞:ティム・ロビンス 川底に広がる闇が、あらゆる罪を覆い隠す---。

もし、あの出来事がなかったら。僕らはこれほどの悲しみを知らずにすんだかもしれない。ひとつの惨殺事件が幼馴染みを結びつける。ひとりは刑事として。ひとりは容疑者として。ひとりは被害者の父として。たったひとつの忌まわしい出来事が、少年たちの運命を変えた。幼馴染みのジミー・デイブ・ショーンがいつものように路上で遊んでいると、警官と思われる男が近づき、デイブだけを車に乗せて走り去った。デイブは誘拐・監禁され4日後に戻ってきた。その日から 25年後に起きた殺人事件。殺されたのはジミーの娘。今は刑事となったショーンが相棒のホワイティーと捜査にあたることになり、デイブが容疑者として浮かび上がった。殺された娘の父親と、刑事、そして容疑者。かつての幼馴染みが果たしたあまりにも過酷な再会。25年間、それぞれの心に傷を抱えて、3人は別々の道を歩んできた。事件当夜、血まみれで帰ってきた夫に言い知れぬ不安を感じる妻セレステ。捜査が進むにつれて、次第に深まっていくデイブへの疑惑。ショーンの必死の捜査が続く中、ジミーは自らの手で娘の復讐を果たすべくついにデイブを運命の場所、"ミスティック・リバー"へと呼び出した・・・。
監督: クリント・イーストウッド

(内容紹介より)


今週に入り、一日一本イーストウッド作品を観ています。
これは本当、人に薦められた方法ではない(笑)。
僕はこう、怪傑ゾロリ並みに真面目で不真面目な人ですから
重たく受け止めつつカラカラ笑う、道化なのでなんとかできますが
一本気な人がこんな事をすると、
感情を変な方向に引っ張られてしまう恐れもあります。
重い、重い。とはいえ、重さを感じないよりは幸せだ。

ここまで観てきた西部劇と違い、現代劇なので
19世紀という法が隅々まで行き届いていない時代だからこその
「復讐として人を殺すが、虚しさを抱える」描き方はできないな、と
思っていたら、途中からそういう展開になっていきました。
但し、違いがあるとすれば本作の時代は現代ですから
法治国家として完全に確立されており、
ラストシーンで、刑事ショーンが
ジミーに対し指で銃を撃つポーズを取ってみせたように
そのうちジミーの包囲網は狭まり、逮捕される可能性は高い。
そういう意味では、『許されざる者』のラストのように
「マニーはその後引っ越して、商売を成功させました」
的なオチになるとも考えにくい。
とはいえ、実際に法の裁きがなされるかどうかは副次的というか
ついででしかなくて。
既に、デイヴを殺した後にショーンから真相を聞いた時点で
ジミーには相応の罰が降りかかっており
後は、彼の妻が望むように、
そして『許されざる者』の保安官リトル・ビルがそうであったように
己の正義を頑なに貫き続ける、悲しい生き方しかできないのでしょうね。
本来、雑貨店店主という典型的な中産階級であるはずが
怪しい甥っ子兄弟と妻とともに、パレードを見つめるラストシーンの彼は
殆どマフィアのボスといった風情でした。
それもまた、逃れられない因果。

子供の頃の「あの日」児童虐待を受けたデイブは
大きくは2つ、傷を負ってしまった。
一つはそもそも、今回の事件に関わらなくて良かったはずが
ジミーの娘が死亡する同刻同時刻に
(この辺が、この作品の悪く言うとワザとらしく
 良く言うと構造的・象徴的なところ)
子供を乱暴する児童性愛者を撲殺してしまった…という
そのことに直接繋がる、トラウマ。

そしてもう一つは、虐待を受けるキッカケとなった
「子供達3人の中で、誰が選ばれたか」の顛末。
別に、3人の中で一番変態好みのフォルムだった…
という話ではない。上手くすれば、3人とも捕らえる気だったでしょう。
単に、3人の中で唯一、自宅の場所を聞かれたときに
デイヴだけ素直に、離れた所にある家の場所を言った。
→だから、車に乗せる口実ができ、
 その結果誘拐され、監禁され、暴行を受けた。
他の2人は、とりあえず目の前に家があるとする事で
「怪しい大人の胡散臭さ」から機転を利かせ逃れたけれど
デイヴだけは、それができなかった。

ここで、「本当の事を言ってもいいことがない」
という考えが潜在意識レベルに刻み込まれた事が、
妻に事件の夜の事を素直に話さず、
最悪の状況に進んだ事に繋がりますし。

実際最悪の状況=ジミーに脅しつけられた時、
早々に「本当の事」を言うことを諦め
自分がジミーの娘ケイティを殺したんだ、と
言うことに繋がっていて…そんな人生を続けてきたから
咄嗟に作った嘘なのに、デイヴは
“ケイティを殺した理由”を言えてしまう。
殺してないのに。
「あの夜あのバーで彼女を見て、夢を思い出した。
 青春の夢だ。
 俺にはなかった青春の…
 ああ 夢だ
 もしあの時 お前が車に乗っていたら…」
それは、デイヴの抱えてきた傷の深さを感じさせると同時に
また、殺してはいないものの、実際に抱えてきた
深く、淀んだ感情の素直な表出ではあったのでしょう。
そして、それへの答えはジミーが言った通り
「だが、俺は乗らなかった
 乗ったのはお前だ」でしかありえない。
事実は事実、どうにもなりません。
一昨日観た映画『アウトロー』のセリフで言うなら
あの25年前、デイヴは「a little」死んでいたのでしょう。

個人の生き方や意志に関わらず、何か
抗えない大きな力によって、容易く個人は捻じ曲げられる。
そして、それを受け容れ…いや
それを事実として、人は歩むしかない。
昨日一昨日観た作品でも、描かれてきた事ではありますが
国家、或いは街の領主(保安官)といった
「大きいものに、そちらの都合で勝手にねじまげられる」
概念が混じっていない分、最もやるせなさを感じさせます。
同じ高さの人と人の間で生まれる、この歪んだ悲劇。

それにしても、美しい。
今の所『アウトロー』が好きな僕ですが
『ミスティックリバー』には、名画としての風格を感じました。
おそらく原作自体が、
良くも悪くも、相当頭でっかちに組まれた作品で。
全ての因果関係が手に取るようにわかるし
同時に、怖いくらい繋がっているのですが。
そこが、この作品のやりきれなさを感じる上では必要でした。
整然とした醜さが、美しい。
排水溝に落ちたボールは、2度と取り戻す事はできない。
固まってしまったコンクリートに、名前を書き足す事もできない。
殺人の後に1組の夫婦はよりを戻し、
夫を失った妻は呆然と道を歩き、
その息子は影を纏い、
娘を失った母親は、偽りの平和を享受する。
そしてパレードは歓声を浴びながら、進んでいく。

ボストンという街は小さな街ではないけれど
ここで描かれたボストンは、あくまで「地方の町」。
土地が持つ磁場で、過去から現在まで等しく繋がりを持ち
ゆえに、色々な線がわざとらしいくらい綺麗に繋がっている。
土地と結びついた因果の糸は、簡単には解けません。
「土地の物語」としても魅力ある物語でした。

ここまでの数作でもわかる通り
イーストウッド映画は、決して「弱きを助け、強きをくじく」映画ではない。
ただ、「弱き」へのまなざしがはっきりと存在している為にそう見えるだけで
(鈍感な人は、「弱き」を掬い取ること自体できないから)
基本的には、それぞれがそれぞれの病理と傷を抱えながら
生きていく、そんな世界の残酷さと
同時に、そんな世界の美しさを描いている。
本作は、わけても
「救いのなさ」で、諸作より一歩先んじている感触もありますが
しかしそんな中にあっても、ケヴィン・ベーコン演じるショーンの
「物言わぬ妻との関係改善」という物語に限っては、解決を迎えている。

世界は全面的に希望がないわけでも、
全面的に希望に溢れているわけでもない。
不条理…と言っていいのかわかりませんが
ワールド・ゴーアラウンド、ライフ・ゴーズオン。
粛々と、これこそが世界だ、という事だと思いますし
それにはおおいに共感できます。
不条理だ残酷だという視点すら、立ち位置が傾いているのでしょうね。
まあ、僕ら今を生きる人間なので、
それくらい傾くのが当然とも思います。

主演男優賞と助演男優賞を受賞した作品という事で、
実際この2人の芝居は凄い。
(特に、ジミーが娘の遺体を前に
警察を振りほどこうとしているシーンは、思わず泣きそうになった)
ただ、ショーン役ケヴィン・ベーコンも、デイヴの妻も素晴らしかった。
全体的に、役者の力を感じられる作品です。
イーストウッド監督も、安心して任せることができたでしょう。
※そんな中、ちゃっかり
 「続・夕陽のガンマン」の悪玉イーライが出演していたりするのが
 作中唯一といっていいくらいのニヤリ・ポイントだったりして。

なにしろ、素晴らしい映画でした。
あまりに構造が整いすぎているので、色んな「見立て」が
簡単にできちゃって、
「ジミーはイラクで誤爆したアメリカ軍うんたら」
とか、脳みそ2回転くらいで思いつきそうなのが、アレなのですが
…まあ、どうなんでしょうね。
正直、僕もそこは見えるのですが、
敢えてあまり観たくない視点ではある。
とにかく、人。
人にはこういう人がいるし
人が運営している以上、国家という人格にもこういうものがある。
それは殊更にどこかに限定するまでもなく
それが人なのだろうな、とも思うのです。
勿論、「現代アメリカ」という視点はなかなかに外せませんが
同時に、僕らの中にいるジミーにも気をつけたいではありませんか。
「現代人」そう括る事で、自分の血肉にもしたいと思います。

名画でした。

…で、誰か毒にも薬にもならない萌え漫画キボン(笑)
↑かなり頭が疲れてきている

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