クリント・イーストウッド週間 その1『アウトロー』(1976)

クリント・イーストウッド週間だよー(唐突)。
今週末、LDさんと彼の最新作『インビクタス』を観る事になり
監督、クリント・イーストウッドの話題になりそうなことから
予習といくらかの復習…それ以上に、これをきっかけに
素直に「観ておきたい」という感覚が沸いたので、
イーストウッド週間と位置付けてみます。
こうやってムリヤリ位置付けておけば、言い出した手前
怠惰な僕も、数作は観るだろうと(笑)。
とりあえず第一夜は『アウトロー』。1976年作品。

アウトロー 特別版 [DVD]
ワーナー・ホーム・ビデオ
2001-11-23

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復讐のための反逆。出会いと別れの狭間で男は闘い続ける。

抗争の続く南北戦争。テリル大尉率いる北軍ゲリラに、妻子を殺害されたジョージーは、復讐を誓い反逆グループに参加する。戦火をくぐり抜け闘いながら生まれる、様々な出会いと別れ。彼は自分のアウトローとしての生き方を見いだしていく。そして、ついにテリル大尉との対決を迎える…。

(内容紹介より)


アウトロー(outlaw)。
law=法という事で、法からout。
まさに無法者という日本語訳がしっくりくるこの言葉、
すなわちワルモン、という風にも変換したくなりますが
しかし、国が最初から国ではなかったように
法もまた最初から法としてあったわけではない。
マクロな状況が、勝手に人の存在を規定していく、という意味で
この「アウトロー」というタイトルはクリティカルでした。
南北戦争下にあって、人生をねじまげられた男の
喪失と、救済と、そしてやはり埋めきれぬ喪失の物語。

アメリカ建国200周年として制作された作品として
100周年当時の南北戦争と、
それに翻弄される人間達を描いた作品。
イーストウッドと南北戦争というと、セルジオ・レオーネ監督の
『続・夕陽のガンマン』中盤の中だるみパートで(笑)
南北戦争描写があった事が思い出されます。
(僕は過不足のなさから、『夕陽のガンマン』の方が好き)
あの作品の南北戦争は、主人公達3人の闘いと
イマイチリンクしきらない所で、監督なりがちょっと興味があって
引っ張り出してきますた…という感じで。
歴史への興味が映画の中に挿入されている、という印象なのですが
こちらは大局的な視点をあまり前面に出さず
とにかく、国内を二分した戦争が
そこに生きる人に何を与えたか…という
「当時の普通の人の人生にとっての南北戦争」を描いている。

冒頭、プロローグが終わった時に
南北戦争が終わってしまうのが、物凄く端的で。
上記の内容紹介だけ読むと、
まるで南北戦争にどっぷり浸かっているようだけど
「戦火」は冒頭数分で終わります。
ジョージーの怒りの矛先とは全く無関係な所で
リッチモンドは勝手に落ち、リー将軍は勝手に降伏する。

The Band, The Night They Drove Old Dixie Down

まさにその南北戦争、リッチモンド陥落を歌った歌。
曲そのものも最高に素晴らしいのだけれど
この歌の面白さは、簡単には説明できません。
70年代の内省、アメリカ自省を
メンバーの殆どがカナダ人である「ザ・バンド」が
アメリカの音楽文法をもって促すという、
不思議な距離をもった言及音楽。
それこそ、レオーネ監督が
南北戦争を描きたがったようなものなのかな。


この物語は南北戦争が生み出した悲劇であるのに関わらず
その戦争自体は、冒頭で「勝手に」終わってしまう。
そして、それに従わないものは「無法者」と規定される。
勝手に始めて勝手に終わる、国の単位での戦争と
勝手に始められて簡単には終わる事ができない、
個人の単位での戦争。
そのギャップを描く事で、物凄く単純に言えば
「戦争なんて市井無視、いいもんじゃねえよ」というテーマを打ち出していますが
それは勿論、制作時には「終結」していた
ベトナム戦争などを視野にも入れていたでしょうし
今でもイラク戦争など、いくらでも通じるものがあります。
でも、それがお説教じみた

反・戦・映・画!!

だけの色合いで終わっていないあたりが、面白い作品だとも思う。

妻を、息子を、仲間を失い
復讐者として立ち上がったジョージーは、確実に
世を恨む「権利」をもった男で、仕方ないとはいえ
汚い唾を吐く、ダメな感じに捻じ曲がっちゃった男なのですが。
(この吐き方がカッコ悪いんだよ!イーストウッド!w)
とはいえ、そんな彼も気付けば珍妙なパーティを率いて
ヒッピー幻想よろしく、不思議なコミューン…でもないか、
擬似的な家族を形成していく。

インディアンの元酋長、
英語を話せない、奴隷だったインディアン女性。
みすぼらしい犬(笑。ツバかけんなよ、イーストウッド!w)
かつて銀が採れた街にしがみつく、酒のない酒屋に入り浸る者たち。
男手を殺されてしまった、北部の移住者母娘。

こう、見事なまでに歴史からあぶれたパーティがずらり。
戦力的に何も期待できそうもない、このパーティが
荒野を歩いているだけで面白い。
しかし、そんなデコボコ・パーティにも絆は生まれ
復讐者・ジョージーもまたいつしか
「家族を、家を守る為の闘い」を行う事になる。
北部のお婆ちゃんの息子が遺した農園に辿りついた時、
いつも通りツバをはき散らかそうとして
お婆ちゃんににらまれ、ゴックン飲み込むシーンが
とても象徴的で、秀逸です。

ここまで丸くなったのは、何故かといえば
そこにいる皆もまた、自分と同じく
マクロ状況によって勝手に歪められた…と
頭のどこかでわかってきているから。
特に、そのお婆ちゃんの息子が
ジョージーの仇そのものである「赤足」にいた、という設定は
見事にそこを突いていると思います。
ジョージーの家族を殺した「赤足」と
おばあさんの息子を殺したかもしれないジョージー。
立場が変われば、何も違う所はなく
殊更説明過剰になる事もなく、相対的な価値観を
上手く表現できている。

ジョージーもまた、この事実でもって
「誰が悪いというより、こうなっちゃったものは仕方がない」
というか…戦争でこうなってしまった、という「事実」を
認める方向にシフトしていく。
ただの復讐者だった彼が、そんなデコボコ家族の為に
インディアン部族に1人出向き、話し合いを行うシーンは
人間の再生力を思うと、感動的ですし
それに対し、デコボコ家族たちが
今度はジョージーを付けねらって追ってきた「赤足」に対し
ジョージーが対インディアン用に教えた自衛の為の戦い方を
彼の為に行使する・・・という絆の循環にもグッとくる。
この絆は、家族のような血で結ばれたものではない。
南部男、北部女、犬、廃坑町の飲んだくれ、インディアン…
この雑多さにこそ、逆にアメリカという
移民国家の矜持、生命力を感じる事もできます。
皆が特別寛容になるわけでもなく、
インディアンはインディアン、北部女は北部女と
それぞれの出自には誇りを持っており
そこに特別な聡明さは存在しない、のですが
「罪のない女(ジョージーの妻)を殺すなんて
北部男の風上にも置けないね!」とか言って
敵にライフルをぶっ放すおばあさんには、
アメリカの良心的なものを見ずにはいられません。

勿論、だからといって彼の復讐心は綺麗さっぱり浄化されはしない。
それは、「あった事を、なかった事にすること」だから。
擬似家族の日々で、忘れかけた瞬間にも
彼の脳裏には、息子の、妻の悲鳴がこだまする。
それはもう、どうしようもない事です。
ただ、最後の仇=赤足のテリル大尉を殺すシーンは
いろいろ読みたくなる所で、
どこまで「殺る気」だったかは
ひょっとしたら視聴者によって意見が分かれるかもしれません。
僕は、銃を空打ちする一発一発が彼の憎しみを収める作業で
銃を仕舞ったその後の、テリル大尉が抜いたサーベルでもって
殺すというのは「自衛の殺人」という風に捉えているのですが
その辺、別の意見も聞いてみたいかも。

とにかく、戦争の悲劇を描いた作品であるにも関わらず
その悲劇さにだけ極端に耽溺する事もなく
「その悲劇があったからこそ生まれた、暖かい絆」にも触れているし
勿論、それが全てを塗り潰す作品にもなっていないわけで
どちらかだけを描いてはいない。

まさに明と暗、光と闇、美と醜の作家であり
2つを同時に愛する「クリント・イーストウッドの映画」だなあ、と思います。
観る前は、別に今に繋がるリンクなどは考えておらず
若き日のイーストウッドが、自分をかっこよく撮った
娯楽大作なのかなー、くらいに考えていましたが
思っていたより「イーストウッド映画」している作品で
大変面白かったです。

撮影的にも、光と影の使い方が印象的で
作中ずっと、建物内は暗く、表情が見えないようなシーンを積むからこそ
ラストの、元ゲリラ仲間で
仲間を売り渡した、フレチャーとの邂逅シーンが
ゾクッとするほど映える。
影の中から目が出て、「フレチャー」と名乗るシーンといったら。
単純な赦しとも言い難い、
男達の「相互肯定」とでもいうかな、
まーなんか戦争でこうなっちゃったねえ、的なラストシーンが
なんとも言えない余韻をもって、胸に迫ってくるのでした。
ラストの「戦争の犠牲者」だけ妙に直裁で
ちょ、おま、説教(笑)?と気になっていたら
このページ様が、全くもってその通りな事を仰っていました。
原語「I guess we all died a little in that damn war.」が、「みんな戦争の犠牲者さ」ですよ!! なんという味気なさ! なんという薄っぺらさ!


その通りすぎてワロタ(笑)。
それはちょっと赦しが過ぎる、と僕も思います。
互いに抱えてしまったどうにもならない欠損も
それを消化しきれない部分も含め、「died a little」でいいと思うのです。
ちょっと死に、そしてその死んだ部分は2度と戻らず、
されどその他にも生はある。
そんな、アメリカを掬い取った映画。面白かったです。

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