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zoom RSS 『花咲くいろは』緒花は孝一と徹、どちらとくっつくの?〜岡田麿里作品の異性研究〜

<<   作成日時 : 2011/06/07 21:10   >>

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Twitterを始めて以来、記事数が目に見えて減っています(笑)。
僕の場合、呟き自体がかなり記事的と言いますか
纏めて肉付けすれば、普通に記事に仕立て上げられる気もするのですが…
元々、高垣彩陽さんがいなければブログを開設する気がなかったような人間、
それほど表現願望的なものがない人間だったりはするのです。
と、そんな話はさておき。
Twitterに限定していると、140文字に纏めるテクニックだけが磨かれてしまう為
たまにはブログ記事にしておこうかな、という試み。
今回は2011年4月期の人気アニメ『花咲くいろは』の、最も下世話な見方
主人公・緒花の「恋のゆくえ」についてです。

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私的『花咲くいろは』観は、簡潔に…あくまで「僕にしては」ですが(笑)…
スフィア7thシングル『Hazy』&『花咲くいろは』 雑感と共通点
という記事に書いてあります。
緒花可愛い、みんち可愛い…到達する所は
唯可愛い澪可愛い、の領域と大差がないにも関わらず
その時にストーリー展開が他作品ほど漂白される可能性は乏しい。

萌えと対立するストーリーテリングではなく
萌えを補強する為のストーリーテリング。
「日常という名のドラマ」という言説を隠れ蓑にするのではなく
文字通り、日常という中に本物の動的ドラマを滲ませていく
「ネオ日常系」。
僕はそれが『花咲くいろは』の特徴であり
その点を指して、実は牙を隠した
意欲作・挑戦作なのだろうな、と思っています。

「物語(ストーリー)」と「萌え(キャラクター)」を
対立軸に据えない…親和性を探る作り。
それは、地方と都会において対立軸を用意しなかった部分とも共通します。
全体的に、妥協からでもなく、また対立軸に気付かない鈍感さからでもなく。
意欲的・挑戦的に中庸、いや止揚を志している。
…僕にとっての『花咲くいろは』の印象は、こんな所になります。


また、脚本家・岡田麿里という
長いこと継続してきた視点で言うと
『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』が岡田麿里のコアを、
『花咲くいろは』が岡田麿里のフレームを担当している
両者の到達点『true tears』の二卵性双生児、という見方も持っています。

勿論、互いに100%、コア(思想)やフレーム(形式)に偏っているわけではなく
あくまで印象的に、どちらに比重が置かれているか…程度のものです。
『花咲くいろは』だと、制作スタジオも『true tears』と同じピーエーワークスである為
映像的な面からも『true tears』を彷彿させるシーンや構図があり
言葉からも(「すてきすてきすてき!」「何やってるんだ俺」等)
何度となく、ニヤリとさせてもらっています。
『いろは』の脚本は岡田さんの一人脚本ではありませんから、
岡田さん、というより
「PAworksの文化・矜持としての『true tears』のセルフオマージュ」を
意識して行っている面もあるかもしれません。

で、これは単なるマニアの隠れた遊びではないんですよ、という話が
今回の「緒花は孝一と徹、どちらとくっつくの?」という話。
作者の傾向なりを知っていると、そこに「読み」が生まれ
実際そうなるか?ならないか?という見方そのものが楽しくなる。
これは、世に言う所の「フラグ」が代表的なものになりますね。
あれは、作者単位でなく「物語全体」の傾向から生まれたもので
死亡フラグを認識していると、その通りの展開になろうが
或いは正反対、そのフラグが外されようが
そこには何も考えず観ているのとは異なる愉しさが生まれますよね。
それは当然true tears、岡田麿里という単位からも生まれますよ、という話。
誰と恋愛成就するか、を「勝ち負け」で語るのはあまり好んでいないのですが
そういった部分1つも、視点あるなしで「愉しさ」が変わるよね、という
提言代わりでもあります。

こういった読みは、何も考えていないような作りやキャラクター配置だと、
あまり楽しい結果は導けないのだけれど、ある程度名をなす人というのは
意識無意識に限らず「型」を持っていたり、問題意識が共通していたりするので
まぁ、視点を持って損をする事はないと思います。
今回纏めたいのは「岡田麿里作品にとっての異性観」。


現在アニメ業界のキーパーソンとも言える脚本家・岡田麿里さん。
彼女の実質オリジナルと言えるアニメ作品は、僅か2作。
タイトルだけ与えられ1話の脚本をただ描きあげた、という『true tears』と
本質にかなり共通したものを見いだせる
『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』です。
(『砂沙美☆魔法少女クラブ』をそのプロトタイプとできるかな?)
ただ、岡田さんが珍しく表舞台に顔を、というか声を出した
ノイタミナラジオでもって

※司会の吉田尚記アナウンサーが、残念ながら
 true tearsやシムーンにまで繋げる視点を持ってはいなかったようなのですが、
 アナウンサーとしては信じられないほどのオタク度でもって
 なかなか有意義な話を引き出せている、良いラジオです。

「私は、かなり原作も選ばせてもらっている」という発言を行っている為
原作モノであっても、オリジナルと何らかの繋がりを見いだせるようなものは
「そこが岡田麿里の琴線に引っかかったのだ」という見方をしても良い気がしています。
今回話題には含めませんが『おとめ妖怪ざくろ』なんて作品も
生まれによってその道を選ばざるを得ない、といった「断念」「選択」性に
個人的には、強く岡田さんらしさを感じたりしているのです。

今回サンプルとして取り出したいのは、オリジナル
『true tears』『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』を中心に
『とらドラ!』『放浪息子』といったあたりになります。
本当は、まだあるのですけど…とりあえずコンパクトに。

作品を観てきた人はもうおわかりかもしれませんが
「人生を共に歩む異性と、心を支える異性を分ける」。
それが岡田麿里の好む「型」ではないか、という視点です。
付け足すならば、その2人までが個人の認識できる「異性」の限界で
それ以上の人数は「3人目」として
彼女の好むテーマ(と推測します)「断念」なりを担当する事になる、と。
今回緒花には「3人目の男性」はいないので(次郎丸?w)
ちょっと脇道の話になりますけどね。
いわゆる「運命の人」にその2つの役割を集める事もできますし
その方が「精神的な浮気」とでも言うのか、ベクトルが違うだけで
2人の異性が同じくらい大切です、という主張を通す必要がなくなる為
寧ろ主流だとは思うのですが、そのような
一人に完全に立脚する関係性を、いまいち信じきれていないのでしょうか?
岡田麿里作品には、その辺りの関係性をきっちりと分けた作品が数多く存在します。

では、各自サンプルを挙げていきましょう。
最も簡潔な言葉にするなら「肉体」と「精神」の担当です。

・true tears
湯浅比呂美(肉体)・石動乃絵(精神)

画像


この作品は、もっともわかりやすく「肉体」と「精神」の役割が分化していますね。
1話を使い以前「漫研」さんに書き込んだ事があります。
湯浅比呂美と石動乃絵
この2人は基本、映像演出レベルから徹底して
肉体の比呂美、精神の乃絵というポイントからは外れませんでした。
乃絵は眞一郎の表現者としての扉を開き、比呂美は眞一郎と人生を共にします。
特に興味深いのは「『true tears』は、結末を変えた」という点。
当初、主人公・仲上眞一郎は石動乃絵と恋愛成就する形だった
…というのは有名な話。
実際それを行った場合、今回で言う所の「肉体」と「精神」は
一人に集まる形になり、わかりやすく「運命の相手」が一人誕生する訳ですが
それを良しとしなかった所に、作家性のようなものも観てしまいたくなりますね。
一人を取り合う二人、という古来からの恋愛の基本構図に対し
「片一方に何も与えない結末」を好まない表れなのかもしれない、と思ってもいます。

画像

ちなみに上記の「3人目」安藤愛子の扱いも物凄くハッキリしていますね。
優れた物語だけあって、このあたりの配置の意味性は明確。
彼女は断念の涙を先に流し、物語をいち早く進めていく事になる。

・あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない
あなる(肉体)・めんま(肉体&精神→精神)

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本間芽衣子、安城鳴子というあまり覚えのない名前はさておき(笑)。
この作品の場合、何せめんまの生きていた時期が
小学生のような時期ですから「肉体」というと違和感があるのですが
とりあえず、先に結婚なりを見据えた「性的な関係」をこちらに纏めます。
めんまは主人公・じんたんにとって、おそらく初恋の人ではあった。
けれど彼女は亡くなってしまい、文字通り「肉体」はなくなってしまったわけです。
そう、めんまの存在そのものが明確に「肉体」から「精神」へのシフトを表していますね。
ある意味では、幼年期めんまは「肉体」と「精神」がイコールになった
岡田作品としては珍しい「運命の人」そのものだったのかもしれません。
しかし、彼女の「肉体」は消えた。
代わりに空位となった「肉体」のポジションに浮かび上がってきたのが、あなる。
彼女は名前も、プロポーションも、全てが肉感的でエロいですよね(笑)←失礼。
肉感的というのは、湯浅比呂美と通じる部分です。

この作品にはじんたんにとっての「3人目」はいません。
強いて言うなら、つるこがゆきあつにとっての愛子を長く受け持ち
これから彼女の物語が始まろうという所。
その辺りは以前記事にしていますね。

〜The summer must pass〜『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』

・放浪息子
末広安那(肉体)・高槻よしの(精神)

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主人公・二鳥修一くんが小学生時代高槻さんに告白した時は
彼女は二鳥くんにとっての「肉体」「精神」を兼ねた存在だったかもしれません。
ただそこで告白が上手くいかず、中学生時代を迎え
高槻さんは精神的に、同じような内面を抱える「同志」としての意味合いが強くなり
二鳥くんの「放浪息子」(つまり、結局は息子=男という事)を受け持つ「肉体」は
釣り目の実は良い子アイドル、安那ちゃんの担当となります。

ちなみにこの作品における「3人目」が、「ミス・生き辛い」こと(笑)
千葉さおりさん。
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彼女、『true tears』における愛子と差がないハズなのですが
小学校時代は高槻さんとツインヒロインのような位置を取っていた事もあり、
「せめて肉体か精神を受け持つ2人のうち1人だと思っていたのに、3人目だった」
とでも言うような、かなり気の毒な状況になっており、
それが彼女の存在感を際立たせるスパイスともなっています。

とらドラ!
逢坂大河(精神→肉体)・櫛枝実乃梨(肉体→精神)

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主人公・竜児が暴力少女・大河とお互いの恋愛を手伝っているうちに恋に落ちる
…という少女漫画的フォーマットを持つ本作は
「肉体」と「精神」の担当がまるっと入れ替わっています。
細かく分析すると、当初は櫛枝…みのりんが
「精神」も受け持っていた、と言う事もできるかもしれませんね。
当初の憧れ、みのりんは「違う道を歩む同胞」としての意味を持つ事になります。
お互いの恋路を励ましあっていた大河は、そのもの彼女に。

画像

この作品の「3人目」川嶋亜美は、かなり明確に3人目している…というか
個人の誠実さの限界としての2人、そこからあぶれた次の少女、という点で
『true tears』の愛子とほぼ同じような存在と言っていいと思います。
このあたりの3人目まで色々可能性を持たせると、それは既に
ハーレムアニメの分類になっていくのではないか、というような
この構造における「2」と「3」の違いを考えさせてくれるキャラクター達です。

・花咲くいろは
種村孝一・宮岸徹

画像


…と、言う事で!ここまでサンプルをあげてきたゴールとしての
ようやく、徹さんとコウちゃんです。

主人公・松前緒花が東京にいた際の仲の良い男友達であり
心の支え兼淡い初恋の相手…つまり
「肉体」「精神」を兼ね備えていたのがコウちゃんこと種村孝一。
しかしここまで見てきてわかるように…恣意的なセレクトですが(笑)…
この関係性を一人に束ねる事を、岡田作品は傾向として好みません。
現状、緒花が石川県に移り住む事になった結果
『あの花』のめんまとは違った形で、コウちゃんの「肉体」は剥奪。
(なんといっても、物理的に接触機会がありません)
緒花が悩んだり迷ったりした時の支えという「精神」面が強調されていきます。
8話・9話で「緒花に会いに、喜翆荘にまで行ったものの
会う事もできず、緒花を徹に会わせる手伝いだけして東京に帰る」コウちゃんの
肉体性の剥奪っぷりは、あまりに徹底されており
同性としても観ていて涙を禁じえません。
でも、旅館の予約くらい電車乗る前に済ませなさい(笑)。
名簿に乗せず、サプライズでびっくりさせたかったんだろうけどねぇ。
キッズですねえ、発想が(笑)。
とりあえず、現時点では「肉体&精神→精神」といった形になるでしょうか。

一方で、緒花が働く事になった喜翆荘で板前として働くのが
口は悪いが頼りになって気のいい男、宮岸徹。
徹さんのポジションは、『花咲くいろは』という作品自体がイメージさせる
NHKの朝ドラなり、世界名作劇場なりの作品が持つ位置情報からいっても
もう、明確に「最初はぶつかっていたが徐々に惹かれていくポジション」なので、
コウちゃん頑張れ視点からすれば、気が気ではありません(笑)。
また、最も作品で性的な魅力…というのかな?生々しい魅力を感じさせる
「みんち」こと鶴来民子の片思いの人でもある為
みんちファンにとっては、緒花とくっついてくれた方がある意味安心なのか
それともみんちを悲しませたくないから一緒になって欲しいのか、
諸々視聴者の情念を一手に引き受けるキャラクターになっています。
仕事もできる、瑕疵のない良い男ですね。

上で触れた8・9話のエピソードでは、考ちゃんの無意識のアシストによる
緒花との関係性が生まれ、一緒にバイクに乗る事に。
後部座席に跨りながら「男の人の頭の匂い」を嗅ぎとる緒花に
全コウちゃんファンが泣いたと言えるでしょう(笑)。
ある種「寝取り」みたいなものですからね!
徹さんの場合、この頭の匂いを「肉体」そのものとすると
まさに「肉体」、そして同じ職場の頼りになる人、という面での
「精神」も、徐々に受け持ちつつある、と言う形になります。
しかも、この記事の方向性からするとこの徹さんの声、恐ろしい事に
間島淳司さんなのですよね。
『とらドラ!』の、竜児その人の声ですよ。
声でも潜在情報を受け持たせようとしているのでしょうか。怖い怖い。

…さて。どうなるでしょうね?という話です。
これまでの法則性から言って、コウちゃんが「精神」を受け持つのは
「肉体」の隙間を強調する事になり、あまりウマくありません。
というか、コウちゃん自身が「肉体」の乏しさに我慢ならなくなってきたのか
9話ラストで、コウちゃんの為だけに用意されたような新キャラクターが
東京という「コウちゃんの触れられる場所(勿論、緒花との対比として)に登場しています。
画像

五十嵐波子?
嵐起こしたいの?波立たせたいの?(笑)
文字通り、彼女の存在は緒花と孝一の関係を波立たせる為にしか
存在しえませんからね。登場人物の従姉妹と言うなら話は別ですが。

物語の方向性は、明らかに「コウちゃんェ…」というベクトルで積み上がっている。
ただ、だからこそ敢えて個人的には「コウちゃん復活論」を組みたくもあります。
まずここで救いとなるのが、徹さんに対し
肉体的にときめく要素は今のところなく(頭の匂い云々だけ)
「頼りになる人」という「精神」の側面も順調に積み上がってきている、という事。
そう「精神」を受け持つ事で「肉体」が危うくなるのなら、
その「精神」を相手に担当してもらえば良い。
実際、徹さんにその可能性は残っていますよね。
途中から緒花が「ありがとう徹さん!」と繰り返すようになれば、チャンス到来です(笑)。

また、放送開始直後から思っていたのですが
彼の配置の上手い所は【大正野球娘】【ざくろ】などの時代性に純潔維持してもらう形の変奏、物理的距離版である事。(Twitter)

コウちゃんが悲劇の少年を演じる程に、緒花の純血性が維持される事は
この作品が明確な「恋愛モノ」でない事を考えても、非常に大きい。
物語が終わった後プラトニックから付き合い出すのは構わない、といいますか
現在コウちゃんが不遇である程に、その事に「意図」を見出したくなるし
それは、疎遠という意図の可能性も、恋愛の凍結・キープとしての意図の可能性もあるのです。

徹さん、コウちゃん両方となんにもなりませんでした、
徹さんはみんちと、コウちゃんは波子と
一緒になりました(或いはそこも未達成)、という可能性もあるものの
うーん、個人的な感覚で行くと、そこまで歪な形で
視聴者の望む純血性をストレートにキープするのは、あまり好みではないし
岡田麿里さんも、そういうタイプの作家とは思っていないという点があります。

よって、コウちゃんが「精神」キャラからうまく抜け出し
緒花にとっての「肉体」としての地位を取り戻す展開を
期待しながら観る、というのが
僕の『花咲くいろは』裏・観賞法という事になります。
実際に、その展開しか認めない、という話ではありません。
ある程度の理路を伴った根拠を抱き、1つの視点を持つ事で
そこに沿ってもズレても、漫然に観るだけでは得られない愉しみが得られる、という
意識的な「作品に対する明確なポジショニング宣言」ですね。
「今の肉体は、精神は、そのパーセンテージは…」なんて事を
サンプルケースたちと照らし合わせ、考えながら。
これが、視点がもたらす観賞の厚みというものだと思いますし
そういった視点を増やす事で、同じ30分アニメからもより多くの情報や感情を
受け取ることができる、そう考えています。

という訳なので、コウちゃん頑張れ視点で『花咲くいろは』を観よう!
※いや、別にその視点じゃなくても良いです(笑)。

余談
しかし、僕は10話「微熱」の素晴らしさに感動していたのに
何故その話に触れず、こんな事書いているのだろう?(笑)
とりあえず10話が最高に素晴らしかったので、Twitter呟きだけでも。

【花咲くいろは】10話まで一気に観てました。ぼくの愛する西村純二が脚本、ぼくの愛する篠原俊哉コンテ(夏目友人帳「水底の燕」は傑作!)ぼくの愛する岡田麿里構成でぼくの愛する安藤真裕監督作品をぼくの愛するPAが…滋味溢れる出来に思わず拍手してしまった午前5時。 #hanairo
posted at 04:51:33

【true tears】4話の「風通しが良い」安藤コンテに対する恩返しは、今度は逆に「走らない」感情が積み重なりオーバーフロウする西村純二の物語。岡田麿里に猛反対されたtt5話の繰り返し処理がDSなら、今度の三重繰り返しは3DSかw岡田さんも免許皆伝かな? #hanairo
posted at 04:56:37

それらしく時間が戻った処理を敢えて入れない「違和」が没入を呼ぶ西村ジュンジの真骨頂と、それを見事に汲み取ったコンテ。西村純二(ニワトリ)と篠原俊哉(燕)の鳥・空の演出家の共振は、一部マニアには夢のタッグと呼んでいいはず。←一部マニア #hanairo
posted at 04:59:25

体が弱まると心も弱まる。この旅館に訪れた風=緒花を、今度は旅館の皆が各々の真心の想像力で花(緒花)とし、周囲を優しく渦巻く風に。風の役割のバトンは想いのバトン。そう、ttというより西村監督の名作【風人物語】ですね。風人5話【保健室物語】のセルフオマージュ。 #hanairo
posted at 05:08:18

バナナのエロスは含みに欠ける!とばかりの苺のエロス、小説に出た日活ロマンポルノ趣味(タイトルが田中実的)夢の中の少女は座敷童?涙で終わるメッセージ「大切な人を想うと涙は勝手に出てくる」。PAの仕事は「積雪フィルム」をものにした経験値、全てたまらなかったです! #hanairo
posted at 05:13:11

※↑「田中登」の書き間違い。

ぼくは批評にさしたる理想も抱いていないし、瞬発的な反応も好きだけど、そもそも対立関係と思っていない。「楽しさ」を貪欲に追い求めると、同じものからより多くを汲み取る「愉しさ」に自然と至ると思っているのです。そういう意味では理想的に「楽しく」「愉しかった」です! #hanairo
posted at 05:16:52

@ikumikeita あれ、ttの脚本で叱られたジュンジュンの立場を変えたリベンジですよねwあー面白かった!この話だけ売ってくれ! #hanairo
posted at 05:18:00

鏡は画面分割などの「仕掛け」を避ける、無手のテクニックでしたね。徹と緒花の表情を一緒に収めるのが素敵。そして、それくらいの距離が望ましいとも。 RT @jibeta: 苺が冷たくて気持ちいいのか、食べずに唇にくっつけるのが寸止めのエロス。鏡越しにすることで〜 #hanairo
posted at 05:22:58



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