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zoom RSS 〜The summer must pass〜『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』

<<   作成日時 : 2011/05/06 08:02   >>

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2011年4月期のTVアニメーションは、数多い作品の中
とりわけ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』
(以下『あの花』)に痺れています。
ストレートに『true tears』級の傑作になりうる、と思っているのですが
自分は「『true tears』は2000年代の最高傑作」とする人なので
その人にここまで言わせるのは、簡単な事ではありません。
かの作品以来、脚本家・岡田麿里を過去まで辿り
丁寧に追いかけてきた身としては、まさにこちらの思っていた
「岡田麿里の作家性」が溢れている、答え合わせのような作品になっていると思います。
この作品を味わう上で様々な視点があるかとは思いますが
個人的には岡田麿里を中心とした
true tears或いは監督西村純二と、本作或いは監督長井龍雪の
やじろべえのようなものとして眺めるのが「面白い」と思っています。



映像作品として観た時、月見草のような西村純二の秘めたる描きと
わかりやすく情感を揺さぶる、桜のような長井龍雪の
淡くも力強い描き。
その資質の違いが、物語そのものの違いとなって現れている印象もありますね。

勿論、今回の「監督長井龍雪・脚本岡田麿里」という組み合わせには
true tearsより『とらドラ!』を観る人もいるでしょう。
キャラクターデザインも田中将賀さんなわけですし、ね。
ただ、個人的には何度か書いてきた事ではありますが

「『とらドラ!』では、『true tears』に互するとは全く思えなかった」。
勿論、作品には作品の良さがあり、好きな方に大変失礼な物言いとは思います。
申し訳ありません。ただ申し訳はないかわりに、包み隠さぬ本音でもある。
以前も似たような主張を暴走させてしまった時があるので、
火に油を注ぐ行為と思いつつもそのまま乗せておきましょう。

消されるなこの企画、忘れるな我が望み〜ゼーガペインの奮闘をtrue tearsファンとして眺める〜
『とらドラ!』は、僕は『ソフトtrue tears』と捉えていて
ソフトな分掴みも多く、人気にもつながりましたが
アニメ評論系で、とらドラをtrue tearsより上位におく人は
よほど売上げ史上主義でもなければ、単に観る目が欠けていると…

(以下、ファンの激しい意見なので削除)

コホホン。あーあー、落ち着け落ち着け(笑)。

…。

『ソフトtrue tears』な『とらドラ!』も、素晴らしい出来で(コロッ)。

※いや、僕は『とらドラ!』も好きですよ?
 ちょっとぬるい(優しい)とは思ってるけど。


全くもって失礼な(笑)しかし申し訳ない、本音の話でもあります。
普段、僕は

「『とらドラ』の修学旅行で、押入れに隠れた竜児が
女の子の想いを知ったりするのは、
作劇が主人公特権を付与しすぎていて「優しい」と感じる」
といったような言い方をします。

情報自体は全て与える、その中で選択する、という描きは
基本的な描きの方向性は大差ないのに、竜児くんに
より万能に近い、エンディング寸前の選択肢まで与えられているような印象がありました。
『true tears』にビビッドに反応してしまう僕の嗜好では
人生における選択は、情報も限られ、知りえないものもある中で
目の前にあるものを「これしかない」と見定めるものであって、
その時チラと横に見える「他ルート」はあくまで可能性レベルに留まり、
選べたように見えるのも錯覚のようなもので…
そこがちょっと「世界が優しすぎる」と感じた部分なのです。
だからこそ、ソフトtrue tearsという言い方をした。
勿論その分のキャラクターの明確な魅力であるとか、諸々あるのは百も承知であり
本当に失礼な話であり、同時にあくまで僕の好む
一方的な方向からの、偏った角度での視点による
特殊な話ではある、と断った上での話なのですが…

僕にとって『とらドラ』は『true tears』に並ぶ、並びうるような作品ではありませんでした。

しかし今回『あの花』は、既にやじろべえの両極になりうるような、
並び立つ可能性のある作品として捉えている。
繰り返しますが、ぼくにとってのtrue tearsは「2000年代最高傑作」ですからね。
それと並び立つ…並の意味合いでは口にできません。

確かに『あの花』は、極めて「あざとい」と言って良い作りだと思います。
過去の集まりと死んだ幼馴染という明確な郷愁パーツを、
これ以上ない「喪失した時間」としてノスタルジックに描き
「ひきこもり」というわかりやすく、万人が否定してしまえるような
明確な「欠損」がある状態からの成長の物語を、これまたどストレートな
『secret base 〜君がくれたもの〜』という所謂「泣きソング」で味付けしつつ形成している。
true tearsが、そのタイトルのみで宣言した部分を
道具立てレベルから、徹底して行っている作品です。

ただ、その「ベタさ」は作品を「優しく」はしない。
道具立ては異なっても、真に伝えたい部分で
『true tears』の、富山の雪景色にも劣らぬ「厳しさ」が
『あの花』の蒸し暑い埼玉の夏の季節にはある。
それはたった1話のみですら、明らかに感じ取れる。
ゆえに、その厳しさを…ぼくの好む言葉にすれば

「断念」を。

それを言葉にする僕の偏った視点から観ても、
『あの花』は『true tears』と並びうる、と思わせるのです。
true tearsはtrue tearsで、独自の凄みはあり
それについて触れた記事で、いみじくも
『あの花』との差異は明らかにされていると思います。
勿論当時『あの花』の存在なんて知らなかったけれど(笑)。
ちなみに『まどかマギカ』も知らなかったね、的な。

『true tears』は2000年代最高の物語である
鈍感な僕らの為に、最近主流ワクチンとして存在しているのが
多世界モノ、戦争モノ。
タイムスリップや平行世界…様々なバリエーションはありますが
基本、それを描く事によって、逆にそちらの世界ではなく
「それらの事が起こりえない、ただこの一つだけの今」
を尊く感じさせる、というのが
この物語類型における基本。
さらに、そこに生死が関わってくると、一つ一つの選択が
ダイレクトに生死に直結してくる為
死という闇を感じてこその生という光…
「今を生きるという事の幸運」を感じられるようになってきます。

これらは全て、「ここまで描かないと今の尊さを感じられない僕たち」
(言い換えれば、これくらいで尊さを感じられる、とも言える)
という全体の傾向があってこそ、この10年の隆盛を迎えたわけです。

勿論、多世界モノを描けば
即表現として成功するかというと、そんな事はない。
これはあくまで大まかなジャンルですから、そこから
各々の作り、質というものが問われる事になる。
そこを勝ち抜いて『マブラヴ オルタネイティヴ』のような
時代を突き抜けるような傑作が生まれたのは事実。
けれど同時に、数がたくさん出ている事からわかる通り
「とっかかりは簡単」ではある。
皆イメージできる表現方法ではあって
単に、その中で本当の能力を持った人が作ったものが
歴史的傑作になる…というだけ。
その事によって評価を下げる必要は全くありませんが
明確にゴールの見えている競争を、真っ先に駆け抜ける闘いなわけです。

しかし、『true tears』にはそういったものがまるで使われていない。
多世界…まったく無縁。
戦争、無縁。生死…作中では、ニワトリが死んだくらいでしょうか。
つまり、現在確立されている
「この世界をよりよく感じられる為の、物語類型」にはまるでタッチしていない。

しかし、この作品はその類型のトップクラスと並べても
まるで見劣りすることがないくらい、「今というこの瞬間の尊さと
この世界の光と闇の織り成す美しさ」を表現してしまっている。
ドラマツルギーとして、
この世界の光と闇を、そしてそれらを生み出す美を表現する為に
最も使い勝手のいい、エネルギーのあるものたちには頼らず
可能と不可能、希望と絶望…そういったものを
絵本であるとか、互いの知りえる情報の層であるとか、
本当に細かな部分で複合的に積み上げて、表現してしまっている。

別に、類型内で淘汰に勝ち抜いた、
超絶傑作を卑下するつもりはありません。
けれど、まるでレシピのない所から
そこに届かせてみせた、『true tears』は
大袈裟に言えば(僕自身に大袈裟なつもりはありませんが)
時代に咲いた一輪の花、ほとんど奇跡の領域と思います。


…。
うーん、さすがに自分自身だけあって、補足する事が無い(笑)。
つまり『あの花』は、類型に触れる事をまったく恐れず
そして上で言うところの「超絶傑作」に手を届かせようとしている。
好みで言うなら、ぼくは「奇跡」を好みます。
しかしそれは最後の甲乙をつけるゾーンでの判定ポイントであって、
それ以前の同じ「傑作」の領域にまで、手を届かせてきそうだ…と
最初に見た時から、ビシバシと感じています。
ベタを恐れない作劇は、それなしで傑作をモノにした
岡田さんの自信から来るのでしょうか?
そこに『シークレットベース』をかぶせてくるあたり
監督などを含めた「作り手全体」の、ベタさ・あざとさに真正面から取り組む強さを感じます。

それは、長井監督のポップかつ位置や色の使い方で
明確に意味性を付加する描きに、丁度良いとも思います。
true tears西村純二の描きはもっと繊細で、分かり辛く、積雪のように
全体で意味を成すものなので。それは、その資質を持つ人が描かない限り
凡庸で退屈な映像にしかならない。
監督の資質にもピッタリ叶い、それでいて岡田麿里の「厳しさ」を損なわず…
傑作になって然るべき作品。
ノイタミナ枠のプロデューサー、山本幸治さんが
放送開始前、Twitterで「岡田麿里の最高傑作になる」
といったような事を言っていて、true tearsを愛するものとして
おおいにドヨドヨさせていただいたし、
こんなハードルの上げ方はかつて類を見ないぞ、とも思ったものですが、
「最高傑作のひとつ」としてなら、その表現は大袈裟ではなかった。
そう思います。

※あくまで「one of best」だけどな!(笑)。

僕の『あの花』に関する発言は、Twitterのログ、ツイログで
ハッシュタグ「anohana」を入れると9割方出てきます。
その点でもっても、ハッシュタグには意味があると思うわけですが…脱線。

http://twilog.org/tweets.cgi?id=rui178&word=anohana

こちらから、いくつかの呟きを抜粋しておきます。
4月15日(1話『超平和バスターズ』)

めんまが自分が元気だった頃の姿で捉えてくれるから、つられてじんたんの行動も陽性に振れてゆく。作劇自体は既視感が強く特段オリジナルな形ではないのですが、特徴はめんまの自意識を描写する部分。めんまが「じんたんの再起の為の存在」に収まってくれない所がポイントですね。 #anohana
posted at 02:06:44

しかし、ぼくらの大好きな岡田麿里が見られる事は間違いない。全能感の喪失、現実の受容、何かが不可能という自覚と選択。【とらドラ】をソフトtrue tearsとか言っちゃうぼくには、長井監督がもう少し「こちら」に歩み寄り更にガチで勝負してくる作品としてウハウハ。 #anohana
posted at 04:22:46

4月22日(2話『ゆうしゃめんま』)

めんまの描きを入れず、じんたんが帰宅したら出てくる扱いにしたらその幽霊はやはり「主人公のための存在」オンリーですよね。しかし、めんまはかなり自律的に惑っている。彼女の「成長物語」のような側面は意図的に残されている。 #anohana
posted at 01:35:49

石動純臭がスゴイ。今作の岡田麿里ラヴキャラはユキアツで堅い。 #anohana
posted at 01:42:35

【true tears】がしんしんと降り積もる雪だとするなら【あの花】は優しく風が吹き抜ける桜の季節の終わり際だなあ。秘める要素よりストレートな情感に訴えかけてくる。あざとさを恐れないのは、記号なしに物語を極めた自信から来るのだろうか。 #anohana
posted at 01:49:23

やはり今回もめんまから主体性を奪わぬよう配慮がなされていましたね。2話続けてということは、約束事なのでしょう。死者の想いを生者が描くという難しいゾーンへの踏み込み、何かを思い出すと思ったら【ヒカルの碁】だ。 #anohana
posted at 01:53:11

4月29日(3話『めんまを探そうの会』)

じんたん母の遺影トークなど、毎回必ずめんまを主体から外さない措置が取られている。 #anohana
posted at 01:33:25

ゆきあつの石動純臭は高まるばかり。純好きなぼくはユキアツだけでAmazonで予約できるレベル。 #anohana
posted at 01:45:50

断念者が好きなのですが、スムーズな断念者はその程度の想いだったという瑕疵が残るので、際どいまでの足掻きを求めますねw RT @kedamap: ルイさんはたしかにユキアツ好きそう。とか思ってしまった。 RT @rui178: ゆきあつの石動純臭は高まるばかり。 #anohana
posted at 01:52:08

とらドラをソフトtruetearsとした身には【あの花】こそ長井監督のライトスタッフに思える。西村純二とは異なりポップさと意味性のバランスが売りなのだから、真っ向からベタに向き合い、そこから普遍を探るのが適正。これならソフト〜ではなくttと正反対から競い得る。 #anohana
posted at 02:48:18


そして5月6日(4話)
『白の、リボンのワンピース』で急に文字数が増えるわけですが(笑)
今この記事を書いていることも含め、僕にとっては
4話が物凄く重要な回でした。作品の視点が備わった、とでも言いますか。


今期の安心&信頼の岡田麿里キャラ、ユキアツさん!彼は絶対石動純の系譜ですよね。ぼく好みの断念を見せてくれ。 #anohana
posted at 01:16:26

ユキアツは自らめんまに女装しているのでしょうね。依存の形のいち形態、同化願望として。うーん業が深い。ユキアツ好きすぎる。 #anohana
posted at 01:26:54

めんまの主体は確かにあそこにある(ようにスタンダローン部分を描いている)けれど、究極人は、自分の為に人を世界に配置する。ここまで主体を感じさせるめんまに「死者という客体」を演じさせるのなら、断念の作家・岡田麿里としても残酷な断念だ…そんな予感を抱きつつ、傑作。 #anohana
posted at 01:45:02

【true tears】で石動純の兄貴が、スーパーで乃絵のヘルメットをつけてあげるシーン。あの「映像の風圧」を明示するとこうなる。西村純二と長井龍雪の違いとしても秀逸。ほんと、一目見たときからユキアツは純だと思っていました。皆そう思ったよね? #anohana
posted at 01:49:14

phantomで草原銃殺が描かれた時「原作と違う」という指摘が出たように、秘める主張の伝達は意外に難しい。【まどマギ】がそれを成したのならあの花はtrue tearsにとってのソレかもしれない。まあtt、骨の髄まで伝達されてる人多いですけどね←典型例 #anohana
posted at 02:02:10

断念の先行者かもしれません。自分個人の立ち入れる物語の限界を、恐らくユキアツへの慕情ゆえに知った。断念者は成長するしかないもの。 RT @_danwaneji: ゆきあつさんのあれを知った上で、その行動を黙認しているつるこさんのこれまでの経緯がわからん・・・。 #anohana
posted at 02:11:02

断念というのは、世界の輪郭を知る行為なのですよね。そしてその最も一般的な、皆が共有する形は「今は昔ではない」なんですよ。死と生による不在、在も等しい。だから…ベタを恐れないこの作品は、マスに訴求しうる。 #anohana
posted at 02:15:57

セルフ付けたしすると、これはttの純が口にした「お前のこと好きじゃなかった」の正体です。 RT 「やってきた奇跡と思うことも許さない」と書きましたが、補足するなら、そうでないとわかっているのに「やってきた奇跡と思うしか、断言するしかない」物語かもしれません。 #anohana
posted at 02:22:28

あなるも良い子良い子という話で通っているけれど、今のコミュニティを蔑ろにしてはいけないのですよね、ほんとは。一緒にたむろってた彼女たちだって良く良く話をしてみれば、ステロタイプなアホ女ではないのですよ、きっと。前に進む為に後ろを振り返る。唖々。 #anohana
posted at 02:37:03


かつて仲間内のリーダー格でありながら、
現在は世界への不信感から現実に踏み出す気力を失ってしまった少年
「じんたん」が、その頃を思い出すキー存在(めんま)をトリガーとして
昔と変わってしまったもの、変わらないものを見つめながら
今を見つめ、踏み出す為の物語。
「現実の受容」と言っていますが、簡単に言うと「今を生きる」ですね。
今を今と認識し、今にコミットする。なあなあではなく、心から。
大雑把に言えば、そういう物語としての「型」は見えてきます。
「ともだち」によってケンヂが己を取り戻す『20世紀少年』みたいですね、と、それはさておき。

同時にそれは、じんたんに限らず
めんまを喪ったことで、それぞれに影を帯びてしまった少年たち
「超平和バスターズ」が、当時退屈なものとしてしか捉えていなかったであろう
「日常」という名の超平和を得難いものとして取り戻す、
超平和リゲッターズの物語でもあるわけです。

余談ですが、タイトルの『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』
…なぜ、知らなかったのでしょうね?
きっと、子供の頃は名前を知る必要すらなかったのだと思います。
無邪気に、ただそこにあるものを享受できたから。
けれど大人になって、いろいろ経験した上でその時の情動を思い出したいのなら
名前にせよ、形容にせよ…何かそれを引き出す為のイコンが必要になる。
上記「日常」と同じで、尊さを知ってから取り戻す行為の難しさ、遠回りさ。
それをタイトルは言葉にした、そんな気がしてなりません。

そんな風に、物語としての「型」はかなり見易い本作なのですが
いくつか作品を特徴づけている、キーワードがあると思っています。
Twitterで何度か言葉にした部分ですが、抜き出しておきましょう。

・丁寧に描かれ続ける、めんまの主体

画像

めんま「めんま、自分が死んじゃったことくらい知ってるよ」


この作品、かなり丁寧に
隙を探しては描く、というくらいの意識でもって
めんまの自律的行動というものが描かれています。
上記のように、1話では自らの生家へ赴き
2話でも夜道で一人「家」について呟くめんまのシーンがある。
3話でもじんたん家を冒険し、じんたん母の遺影を眺めるシーンがありますしね…
幽霊?が己の遺影を語るなんて、その極みといった部分でしょう。
じんたんという観測者がいない以上、映像で描かなければ
めんまはじんたんの生み出した存在なのでは、といったゆらぎになるのですが
この辺にカメラを当てている事で、じんたん発ではない、
めんまとしてのめんま、というものが強調されています。

※公式サイトの企画きょうのめんまも同様ですね。

生者のいない所での死者の描きは、
死者に「死者としての物語」を与える事になります。
それ自体は唯一無二、というわけでもなく
古典的な『ゴースト〜ニューヨークの幻〜』系の描きなわけですが、しかし。
あちらが、死んでしまったが愛を貫きたい、という
死者主体の、しかもシンプルな想いを描いているとすれば
『あの花』はじんたんら、歩み出さなくてはいけない面々に対する物語比重が大きい。
人数のバランスから言っても(めんま以外に、超平和バスターズは5人もいるわけです)
ひきこもり、同一化願望、存在肯定願望からの女装…その物語の重さから言っても
彼ら主体の、踏み出さなければならない物語としての側面が強い。
それはもう、観ていて誰もが感じる事と思います。

しかしそれでも、脚本は映像は
めんまのスタンドアローンの行動を外さない。

意識的に、ともすれば物語の構造上
「天使」「奇跡」になってしまいがちなめんまの存在を
フィルムの中で「元」がつくとはいえ「生者」として描こうという意識が感じられます。
何故?それこそTwitterで『ヒカルの碁』(佐為)を引き合いに出しましたが
彼女には彼女の、「彼らの為の存在」
に留まらない物語を与える為ですよね。

しかしこう言ってはなんですが、彼女には「進むべき時」は存在しない。

上記の通り、物語の基本である「今の尊さ」を描こうにも
その「今」に、めんまは本来存在していないわけです。
そんな存在は、正直いって
天使に落ち着けてしまった方が楽に思える。
めんまに意識がいけばいくほど、成長すれば良いじんたん達と異なる
「天使でもないのに、彼らを送り出し[そこにいる]しかないめんま」に対し
ぼくらが様々な呵責を覚えるのは明らか。
映像的な印象操作としても、めんまのスタンドアローンの動きは
のちのち、辛さを、厳しさを描く時の増幅装置にしかならないと思うのです。

それでも、そこを外さない…
演出として観れば、めんまのそんなただ都合の良い存在ではない部分を描く程に
彼女がここにいられない「無念」となり、
それは今ここにいられる事への有り難さ、感謝に繋がる…と
理屈で考えれば、これまで言葉にしてきた
今を尊く感じさせる、物語の基本線通りではあるのです。
ただ、その事に対する、意識・徹底が強い。
この時点で、この作品がベタやらあざとさやらに留まらず
情報伝達力の高い「型」を使いながらも、全く手綱を緩めず
かつ、意識して描いているのは明らか。
正直言って、これらのめんま単独シーンがあるだけで
この作品がある種特別だと、傑作になると
感じる人は感じると思います。

めんまは、天使でもないのに
「天使になるしかない」子なのですよね。
それを自分で受け入れろというのか、
それを生者である僕らが描いて、眺めていいのか。
今から先を思うだけで、胸がキュッと絞めつけられる部分です。

・ゆきあつの石動純臭が凄い

画像

ゆきあつ「めんま…出てこいよ。あいつにお前の事、見せてやろうぜ」

4話にして、衝撃の女装姿を晒してしまったゆきあつさん。
既に変態として大人気な事と想像しますが、
敢えて画像は出しませんよ!
どこにでもあるだろうし(笑)
偉そうに言わせてもらうならその騒ぎは「遅い」と思っています。
上のTwitterでもわかる通り、僕は2話の時点で
彼を『true tears』で実妹である石動乃絵を愛する兄・石動純と見立てています。
僕の感度がどうこうではなく、火のない所に煙は立たないですから
(まあ、同人誌は火のない所に煙を立てる事もあるけれどw)
映像は既に、その匂いを纏わせていたという事です。

そういえば、石動純も「変態兄貴」などと言われる事もあったわけですが
簡単なラベリングは、読みを留める危険性があると同時に
いくらかの真実も交えているものです。
何度か実際にも口にしている通り、全キャラクターが好きな『true tears』にあっても
石動純は僕にとって特別な、ある意味では最愛のキャラクターの一人。
それは、true tearsを、或いは西村純二作品や
岡田麿里作品を眺める時のポイントだと思っている
「断念者の物語」として、簡単に断念できぬ業の深さを持つキャラクターであるから。

※プレ『とらドラ!』とも取れる岡田麿里構成
 『護くんに女神の祝福を!』の生徒会長とかね…描きがアツイんだ、明らかに。

石動純の兄貴が、スーパーで乃絵のヘルメットをつけてあげるシーン。あの「映像の風圧」を明示するとこうなる。西村純二と長井龍雪の違いとしても秀逸。ほんと、一目見たときからユキアツは純だと思っていました。

画像

画像


思い出してみれば、あれも同じ4話「はい、ぱちぱちってして」での事。
純もやはり、センサーを立てている人は4話で見えた部分なのですが
今回は、万人が観てわかる形で描いている。
そのあたりの秘める要素の少なさも、監督ごと含めた
作品の違いが良く出ているな、と思う部分なのですが

本質的には同じで、とある「断念しなければならないこと」がある。
けれど、それを認められない。認めるわけにはいかない。
ゆえに、形を歪め、変えて現れる。
純で言えば、比呂美に交際を迫った一連の活動がそうですし
ゆきあつならば、それは直接的に
「めんまへの想いからめんまに逢いたいが、
めんまはじんたんにそうしたように現れてくれない。
故に、自分が『なる』」という歪みになって現れていますね。

最終的に、純は比呂美に対し「お前の事好きじゃなかった。これっぽっちも」
と決別の断言を行うのですが
僕は、この「これっぽっちも」は嘘だと思っています。
純と比呂美は、基本的な感覚で共鳴する部分もあった。
けれど前に進む為に、これまでの過ちを精算する為に
未練を完全に断つ手段として、この言葉を選んだのでしょう。
淡い断念を、100の断念にする為に。
それも含めて、僕は石動純という男が大好きなのですが…
そんな断念者の物語を体現してくれる存在として、ユキアツには
おおいに期待しています。ガチで好きだよ、ユキアツ!

※純とかゆきあつとか言ってるけど、僕はノンケです(笑)。

また、そんなユキアツの再起を促す為に
じんたんを焚き付け、ユキアツを女装へと追い詰めた
策士・つるこはtrue tearsに当てはめるなら愛子。
愛子を更に先行させた存在と言えるでしょうか。
愛子は眞一郎相手に涙を流し、
10話で水道水を飲み(おそらく「涙を呑んだ」)後から
先にtrue tearsの物語を終えた年上存在として
眞一郎をも主導する勢いで、自らの物語を編んでいきます。
それは「おぎゃあ」で再誕した後の、真・眞一郎(なんだそれ)の
昼飯時に屋台を訪れるような「おせっかい」すら必要ない程。
出来ない事を見つめると、出来る事に突き当たるのは必定。
つるこはきっと、ゆきあつの事を想っているのでしょうね。
同時に、自分だけではゆきあつの病理をなんともできないという「断念」に至った。
そんな風に、思っています。だから「断念の先行者」。

※みんな大好き(笑)あなるちゃんは、一途な想いを抱き続ける比呂美かな。
そこに、ゆきあつ程のものではないとはいえ
過去に拘泥する自分、というものも描かれているのですが
これはじんたんがめんまを好きだった事を認め、
今のあなるに向きあってあげれば解決しそうな問題にも思えるので
そのへんの「正ヒロインだけど、物語テーマ的には客体」な感じも
比呂美らしいな、と思う次第です。
現実の、これから歩む日々の為のアンカーとなれば良いといいますかね。
え?ぽっぽ?三代吉ですよ三代吉←適当すぎっぞ!

『true tears』の物語の素晴らしさに気付いた人は、
ベタな見た目に囚われず、本質的に同質であるところに目を向けてみてください。
今『あの花』に惹かれている人は
このコアをギリギリまで研ぎ澄ませたような『true tears』に触れてみてください。
ともに傑作なんて言葉では足りないほどの作品です。

『まどかマギカ』に続き、2011年の各クールを代表するオリジナル作品であると同時に
やはり同様に、新しいディケイドに向けた作品というより
(ドラマ復古的な言説はしやすそうですけどね。僕はそこまで興味がない)
これまでの己の主張、愛するテーマを
最も訴求する形で提供した、とでも言うような…
学習や経験の成果が出た「結晶」としての作品だと思います。
そのフィルムの隅々にまで溢れる
断念を、そこから浮かび上がる可能性・希望を。
心から堪能したいと思っています。

http://twitter.com/rui178 呟いております。
でも『あの花』の最中は『高垣彩陽のあしたも晴レルヤ』も聞きつつなので
正直かなり難儀しています(笑)。
http://twilog.org/rui178 適当な単語で検索してみてください。

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