ひまわりのむく頃に

アクセスカウンタ

zoom RSS 高垣彩陽・豊崎愛生出演 長篇アニメーション作品『ジュノー』 裸の主張

<<   作成日時 : 2010/09/08 06:08   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2

以前、
高垣彩陽・豊崎愛生出演、
長編アニメーション作品『ジュノー』を目にする事はできるのか

という記事を書いた、アニメ作品『ジュノー』。
最近ようやく関東で観る機会が生まれた為、早速行ってきました。
ただ、この作品の理想形態は、僕らが観るよりも
小中学校の子供たちが、教室や体育館で観る形だと思います。
とてもまっすぐな物語。

画像


現在は19時からのみとなっており、時間調整が厳しい人もいるでしょうか?
10月には1日5回上映されるようなので、
19時キツイ!という方はその時にどうぞ。
場所は恵比寿の恵比寿ガーデンプレイス内にある、
東京都写真美術館。
夜は美しく、静かな無数の無料デートスポットに早変わり!?
今回のレイトショーは、美術館自体は閉館した中行うもので
建物の中も静か、とても雰囲気のある中上映されました。

前回の記事を書いた時点で、
大まかに作品については予想ができており
実際もその範囲に終始していました。
読みが鋭いといった話ではなく、
『ジュノー』が、何一つ隠さないタイプの作品という事ですね。
そんな作品に敬意を表して(?)
こちらも特にネタバレ等は考えない事にします。
隠すほどのネタもないですし。

ものすごく饒舌なあらすじと
ものすごく饒舌な予告映像からわかるように、
展開にヒネリがあるタイプではありません。
というか、もう全部語ってしまってるよ(笑)?
主人公の少女2人は、要はジュノー医師を見つめる為の
視聴者の代わりの「観測者」。
2人いるのは、会話劇の形式で回す為。
そして意識だけがタイムスリップするのは、
ジュノーの生き様を、あるがまま描きたいから。

「面白い」展開を考えると、
少女2人を、ジュノーはじめ過去と干渉できなくしてしまうと
そもそも交流線が全く生まれない(一方的に学ぶだけ)為、
まるでドラマとしての波が起こらない。
現在側に、ジュノーから得たものを持ち帰ることで進行するような
家庭不和なり、喧嘩なり・・・そういったドラマの芽を用意しないことには
ちょっと考えにくいストーリーなのです。


やはり、徹頭徹尾少女たちとジュノーを絡ませないストーリーは
ドラマとしては盛り上がりを排したもの。
声は聞こえない、触る事もできないでは…
(コーヒーの湯気だけ、息吹きかけて動かしてたな?w)
そして当時の予想通り、美依(豊崎愛生)はイジメ、
優子(高垣彩陽)は喧嘩といった、
現在側に解決するべき物語が存在していた。全部想像の範囲内。

予め商業作品として作られていない以上、そこを指して
批判をするのはお門違い、というのは前回書いた通り。
それに、実際鑑賞してみると
美依と優子がジュノーに関われない事で、描けているものはあるなと
感じる事ができました。

それはつまり、
自分にできる事を、自分に関われる事をしよう
という事。

捕虜開放に奔走するジュノーが市民に糾弾されたり、
軍部に裏切られたりする度
美依や優子は怒り、悲しみ、泣き叫ぶ。
ジュノーは頑張ったんだ、責めるな!
人命以上に大事なものなんてないのに、酷い!…
ただ、その声が全く届かない事で
彼女達の物語はそこにはなく
彼女たちの物語は、この記憶を持ち帰り
自ら干渉する事ができる、現在にこそあると強調できている。
ドラマとしては、決して良い選択ではないと思う一方で
作品の存在意義やテーマからすると、こう観てみると
ジュノーに関われなくて、正解だったのでしょうね…。

とはいえ、自分物語好きですから
敢えての作りと理解しつつも、
いくつか演出的に望みたいものもありました。
例えばジュノーがマッカーサーと会談し、
美依と優子の意識が現在に帰る時、

ジュノー「帰るんだね。
どこの誰かはわからないけれど、純粋な怒りや悲しみが
長年僕に勇気をくれていた気がする。
君たちは、君たちの勇気を、使うべきところで使いなさい」

などと、最後だけコミュニケーションしたら感動したなぁ。

また、ジュノーの献身的な活動の源には
少年時代、父に教わった「誰かが、神が観てくれている。
巡り巡って、違う形で報われる」という考えがあり、
具体的なエピソードとして、
父が返済の見込みのない人に金を貸し、
家族の食卓がひもじくなっている時
近所の人がシチューなどをくれる、という事がありました。
終盤、マッカーサーが援助物資を送ってくれる事になった時
「父さんの言った通りだ」とひとりごちるジュノーは、
それだけで感動的ではあったのですが…
「父さん、僕もシチューがもらえたよ」
なんて言葉だった日には、僕はもう涙腺決壊していた自信があります。

と、この辺全て言っても詮ない事ですし、
ここまで理解を示しつつも、まだドラマを求めてしまう
こちらが未熟なんですけどね。
この作品は、そういった部分を殆ど完全に排していたのが
逆に良かった。少し泣いてしまったほどに。

僕とて、たくさんの物語を浴びるように味わってきましたし
パターンも、演出の方向も、全部想定の範疇。
驚きも刺激もなかったわけです。
しかし、心は動いた。
twitterにも
【ジュノー】観ました。Twitterやブログに浸かると目新しくいいものを求めてしまうし、それは悪いことではないけれど、同時に農作業のように新奇さもなく、しかしそれを誇りとして淡々と繰り返し在る物語というものも忘れてはいけないなと思いました。道徳の授業に還ったようだった

と呟きましたが、演出をほとんど省く事で
逆にむき出しの物語になり、小細工がない分
観ている側の意識が、衒いなく作品に乗るという…
これはちょっとした発見でした。
テクニックを使わない事が、主張をむき出しにし
何よりこちらが「テクニックを使って観る」事を防止している。

僕は結局、ドラマを、演出を愛してしまうけれど
そうでないものの良さというものも、味わえた気がします。
論理性が先走りすぎて、作品の何もなさを指摘するだけで
『ジュノー』に何も感じない自分…
そんな自分でなくて良かった、と思えました。

物語童心に帰らせてもらった、とでも言うべきか。
ここまで徒手空拳の話は、やはり教育フィルムならではと思うので
たまにこういうものを観るのも、良いものです。
時間があったら、是非ご覧になってみてはいかがでしょう。
繰り返しますが、物語的には何もないんだけどね。そこが良い。

祈念。

私は、原爆投下直後の広島に大量の医薬品を届けたスイス人医師マルセル・ジュノーさんを描いた『ジュノー』というアニメ映画に出演させていただきました。

このような"伝えていく"という想いが込められた作品に参加させていただけたことに、強い使命感のような気持ちを持って作品に向かわせていただきました。

自分は戦争を知らない小さな人間です。

広島に行った時も、最後はただ祈るばかりでした。

でも少しでも、ほんの小さな力でも"伝えていく"という想いの一部になれていたら…、そう思っています。そしてこの作品をご覧になって下さった方が、感じた気持ちを大切に、そして考えていただけたら、それはとても意味のあることだと思います。


ここからは声優・高垣彩陽さん愛読者としての視点。
優子は『世紀末オカルト学院』の亜美の声をワンランク幼くした感じで
…まあ、本当は、高垣彩陽さんの芝居を語る時
既存の役を引き合いに出すのは、
正しいアプローチではないと思いますけどね…
僕が敬愛するほどの彼女はおそらく、全てゼロから構築しているから。
まあ、声のイメージを掴むための伝達効率上やむなく。

ジュノーとの、過去との絡み自体はなかった為
掛け合い芝居的なものは、あまり味わえません。
しかし豊崎愛生さんと出ずっぱりで喋る状態なので
セリフは危惧していたよりずっと多め。
また、上記の通り、怒りや悲しみといった
感情の発露があるため、演技的に
彩陽さんの心震える慟哭が味わえ、それも良かった。
彼女の慟哭芝居は、彼女自身の心が震えているからこそ
フィルムを突き抜けて視聴者に届くのでしょう。
これからも、作品に入り込むスタイルを続けて欲しいものです。

商業性皆無という作品の性質上、
セルDVD化するかすら定かではないので
演技チェックという観点でも、観ておけて良かった。
ちゃんと、高垣彩陽(と、豊崎愛生)が表現を行っている作品で
ジュノー先生=家中宏さん頼みの完全傍観というほどではありません。
その辺が気になる方は、安心して観ていいと思いますよ。
家中さんも素晴らしい芝居をしていますしね。
あ、音響監督が高橋剛さんである関係か
『そらのおとしもの』そはら役の美名さんがいたりしたな(笑)。

愛を貫く勇気、耐える勇気、育てる勇気。
手練手管を使わないからこその
大上段からの、まっすぐなテーマに
予想外に心震わされた『ジュノー』体験なのでした。

あとは、放送時間も60分と長すぎないし
twitterに書いたように、
本当の「道徳の授業」で流せるようになると良いなぁ。
僕みたいな物語にスレた人間よりも、
何より子供に観てもらいたい、そんな直球作品なのでした。

余談

そういえば、なんで英語字幕がついてたんだろう?(笑)。
まあ、海外で観られる可能性もフィルム一つで対応する為か。
平易な英語で、おばかな僕ですら完全にリアルタイム翻訳できたので
これもまた、中学生あたりに向いているかもしれませんね。

11月10日追記
お忙しい中、高垣彩陽さんがついに鑑賞されたご様子です。
愛と勇気。
愛と勇気を持って行動すること。
「誰か他の人がやるだろう」と見ない振りをしたり諦めて流してしまうことも、
気が付いた時こそが、それは自分にしか出来ないことなのかもしれません。

上の記事で、僕が

「自分にできる事を、自分に関われる事をしよう」

と書いた部分に通じる指摘。
この物語では、冒頭、イジメ、ケンカに気付いた少女たちが
最初はためらっていたのに、最終的にそこに踏み込んでいく。
僕はジュノー医師の物語に
「立ち入れない」事にまず注目して言葉を選びましたが
彩陽さんの視点はもっとシンプル。
さてど、同じ指摘と考えます。
ジュノーの物語には関われないが、
イジメの、ケンカの物語には関われる。
それはつまり、そこにこそ自分の物語がある…
という気付きなのですよね。
それが「自分にしか出来ないこと」即ち、自分の物語。
『ジュノー』の物語は、イメージほどに反戦やなんやと言った話ではなく
もっとシンプルな、自分の身近な、知覚できる範囲にある
良心の行使、の話なのでした。

平和をテーマにした作品は、捉え方ひとつで意見も様々ですし、難しいこともあると思います。
でも、職業や年齢や人種という枠よりももっと奥にある【人】という核で、シンプルな心で向き合うことが出来たら、深い部分で何かを感じることが出来るのではないかと思います。

しかしこの人は本当に賢い、
僕が何か改めて言える事も、実はないなぁ。
とりあえず、すぐ「政治的な発言」と眉をひそめる人に
彼女なりの、精一杯の提言をしていると思いますよ。

しかし彩陽さんも恵比寿で観たのかー、ホクホク。


http://twitter.com/rui178 呟いております。気軽に話しかけてください。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
こんにちは。ブログ更新お疲れ様です。忘れてはいけない日と高垣さんが書いていらっしゃいましたね。小学校の卒業アルバムに皆それぞれ、作文を書いているのですが、自分は8月9日長崎原爆のことを書いていて何でこんなこと書いたんだろうと思ってしまいました。母親がその卒業アルバムをみて「あなたが、書いた作文は大切なことだよ」と。他の人たちの卒業アルバムは、原爆のことについてはあまり触れてはいませんが・・・大切かどうかは自分でしか分かりませんよね。話が急に変わりますが、10月は広島に家族と行くことになりました。8月6日(広島原爆)が落とされた所にも行く予定です。少しでも自分の頭や心に残るようにして行きたいなーと思ってます。それでは、長文失礼します。打ち間違いがあったらすみません。

2010/09/08 13:06
熊さんコメントありがとうございます。極論すれば全ての日が何かの記念日であり、全ての日が何かの忘れてはいけない悲しみを背負っています。しかしその中でも規模の大きいものに想像力を向けられないで、他にどう向けるのかという話でもありますね。

ジュノーは印象ほどに「原爆」に特化した物語ではありませんでした。もっと普遍的な、良心の行使の物語。そこから彩陽さんが「原爆」を強く抽出したのは、彼女の心の向きがそうなっていたからなのでしょう。広島旅行、美味しいものを食べて、自分にとっていいものを得てこられる事を。
ルイ
2010/09/10 01:26

コメントする help

ニックネーム
本 文
高垣彩陽・豊崎愛生出演 長篇アニメーション作品『ジュノー』 裸の主張 ひまわりのむく頃に/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる