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zoom RSS ブログ一周年記念 声優・高垣彩陽論(総論) ※本気すぎ注意

<<   作成日時 : 2010/08/01 17:43   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 2

ウェブリブログさんから
「祝ブログ開設1周年!」というメールを頂きました。
いかにも、一周年記念で記事を書けというアピール…
乗ってやろうじゃあないかッ!!
声優・高垣彩陽さん応援ブログという看板に向き合い、
今回は真面目に、「高垣彩陽論」を形にしておく事にします。

これまでの繰り返しになる部分も多いと思いますが、
下書きなしで思うまま書くため、ご容赦ください。
先に言っておきますが、大仰な部分、冗談に見える部分もあるでしょう。
全 て 本 気 で 言 っ て い ま す 。
これはもう、物語読みとしての自分、30年にも満たないものとはいえ
それらを全て賭けて、宣言するものです。
重く、大袈裟(人によっては)なので、覚悟がない場合
読み飛ばす事を勧めます。今回、ガチンコなのですよ。

〜〜〜〜

高垣彩陽さんを形容する時、
頭の中に真っ先に浮かぶのは「優れた物語」という表現。
どうしても若い女性であり、ファンを集める立場である事から
アイドルのファンのような感覚と思われる事もありますが、
いや、まったく違うんだと。
彼女を特別扱いするのは、彼女が特別であるからに他ならない。
そして、僕はその「特別」の理由に
声や容姿の好み、といった
表面的なファクターを含められる人種ではないのです。
自分自身が、自分がそうである事を痛感しているから、
照れず、臆さず彼女の素晴らしさを語り続けられるのです。

僕らは物語を愛する。
物語が与えてくれる、喜怒哀楽を愛する。
そして、その物語を形成する主たるものは人間。
言い換えれば、僕らは人間を愛するという事。
似た思考や文化を持ち、想像の翼が行き届く対象。
同じ人間だからこそ、様々な心の動きや選択を己に照らし合わせ
その偉大さを理解し、その卑近さに共感し、その所業に怒りを覚え…
現実であれ、物語であれ、訓話であれ、
人は人に多くを感じ、多くを学びます。

自然の偉大さに触れた時、他の生命に触れた時
僕らの心は高鳴るけれど、言葉を獲得した我々が
とりわけ言語化したい、という思いに駆られるのは、
やはり同じ人間が与えてくれる感情。
物語の中ならば、その人間とは登場人物であり
歴史的偉人であるならば、逸話や発言があり。
それらから、僕らは人間を読むのです。

ところが、それらで描かれる多くの人間には限界がある。
彼らは、最低限の必要なパーツでもって
形成されすぎている。

物語を生きるキャラクター達は、基本的に
逆算によって形成されている。
表現すべきテーマに、行うべき行為に向かい
必然を積み上げていくのが、創作物の中に刻み込まれる
優れたキャラクターというものの、基本的なあり方。
「どこにも根拠のない自然さこそがリアル」
という理屈で、風のような子を創る事も可能ではありますが
敢えて物語フィールドで描くには、
余程の「心の風圧」でも表現できない限り
言い訳、うまくいっても世間の物語倫理に対する
たまにしか使えないカウンターとしての機能しか持ちません。
基本的には、物語に生きる人物の多くは
納得・必然という名のゴールへの積み上げを目指していく。

優れた物語ほど、そこに大きな納得を与えてくれるもの。
そうか、この人物はこう考え、こう育ち、ここでこんな出来事があったことが
思想形成に大きく関わっているんだ、優先順位はこうなっているんだ…
このあたりの深みがあると、キャラクターを読む楽しみは
加速度的に増大していくものです。

が、しかし。
人間の24時間を、365日を追えるわけではない以上
自然、キャラクターの描写は
象徴的なシーン、重要な瞬間、発言といったものが中心になる。
それは間違っていないし、当然の事でありますが、
その瞬間にその人間は、
かなり大雑把で、恣意的な読みしか適用できなくなる。
物語の中で生きる人としての、
チューニングがなされていくとでも言えましょうか。
それは偉人のエピソードでもなんら異なる事はなく、
伝記なら、作者の伝えたい人物像にしたがって、
ゴールに対して直線が引ける幼年期のエピソードなりが
ピンポイントに挿入されていきます。

これらは欠点でもなんでもない。
物語、あるいは偉人伝というものの
「伝えたいもの」を考えれば、当然の選択。
時を超えた、あるいは創作の人物達に対しての
なんでもない一日からの描写なんて、限界がある。
それは、今を生きる僕らが
自分から、或いは身近な隣人から得て
それを想像力でもって適用すればいいものであって、
物語の人物から得ようとするものでもないし、得られるものでもない。
細かな日々の物語は、自分たちこそが持っているものです。

ところが、今度は我々という「生きる物語」にも弱点がある。
僕らが今ここにあるのは、まぎれもなく
生まれ落ちてからの全ての蓄積である…にも関わらず
今度は、せっかく24時間、365日を繰り返し付き合ってきたものなのに、
それに見合う必然・納得の線が引けなくなってしまう。
自分という最も身近な存在に対して考えてみても、
人格形成などに関わる、
いくつかのポイントとなったであろう瞬間は思い出せるものの
それでは物語のキャラクターにとっての「重要なエピソード」と大差がない。
特別な瞬間に得た感覚を抱いて、全ての日々を過ごしてきたか?
一つ一つの発言までに、それが通っているか?
そういった話になると、途端に僕らの物語は
それが自分たちの物語であるにも関わらず、茫洋としてしまう。
せっかく、物語総量はどんな物語をも凌駕するほど存在するのに
そこに綺麗な線を結べない。それが僕らの限界。

つまり、世に既にある、また生まれ続ける創作物語は、
因果や必然に則った整然とした美しさがあるが
パーツが恣意的に過ぎ、絶対量も足りない。
一方で、生きる僕らという物語は
絶対量にはまるで事欠かないが、その量を
必然の量という形に、創作物ほど綺麗に転化できない。
これが、各々の物語にある限界なのです。

ところが、「高垣彩陽」はそれを飛び越える。
彼女という人間が、声優として、歌手として、アイドルユニットとして
自分を発信する立場にいる事に、
その天の配剤に対して、いくら感謝をしてもしたりない。

本人も気づいていないかもしれません。
彼女は「必然に満ちた物語」と
「他愛もない日常も含めた、絶対的な物語量」が
高次で両立できている。
そんな存在が「発信」を生業とする仕事に就いている事の幸福。

何によって育てられ、何に興味を覚え、疑問を感じ、
何に向きあって、何に打ちのめされ、何に希望を得たのか。
これらが完全な一本の線として存在する、
「物語として一本筋が通る」のが、
外見や声などといった刹那的な要素を遥かに凌駕する、
物語・高垣彩陽の美しさの根幹を成すものです。
そして、基本的に隙だらけの彼女が、ポロポロと漏らす
ショートエピソードやリアクションが、
その線の補強を果たし、厚みをもたらしてくれている。
これが、創作物語との最大の差異。

彼女の自己装飾に陥らない、色々なエピソード。
そこには反抗期も、喧嘩も、奇行も、恥も、
今高垣彩陽のイメージをコントロールする為には
必要でないものも、山のように存在している。
しかしそれらや、その場その場の小さなリアクション一つまで
読み込んでも読み込んでも一本「通る」のが高垣彩陽の凄み。

物語用の人物なら、キャラクターは通るように形成されるもの。
しかし僕らは、自分自身をみても、その物語の通りの良さを
現実にある人間に求めるのは、いかに難しい事か
身をもってわかっています。
今を生きる偉人ならまだしも、
数十年後、数百年後に物語化されるような人でない
「市井の人」が、この物語の強度を獲得するのは、
偉人が美しい物語を奏でる事よりも遥かに稀少で、困難。
彼女は国家や経済に大きく関わる存在ではないけれど、
だからこそ、得難く尊い。
偉人は言説に満ち、書物に纏められるものですから。
100年後には残らないであろう、泡沫のような存在だからこそ
今、その物語を覗けるのは贅沢な事なのです。

一本の線があるからこそ、そこから生まれる演技も、歌唱も
優れた物語にしか生み出せない、
地続きの重みを纏っている。
つまり、彼女の優れた表現者としての能力は、
彼女の人生という物語の「通り」に起因していると考えます。
声優・高垣彩陽論という響きから
やれこの演技が上手い、この歌が凄い…
そういった話になりそうなものですが、
それらはあくまで後発的なもの。
高垣彩陽という表現の表面にして根幹は、全て
人格に、育ちに、在り様によるものと言っていい。
20そこそこの若い女性といっても、現在にまで繋がる
彼女を紡ぐ「必然の線」の長さが、幼少期から今まで、
くだらない日常に至るまで、一度も切れる事もない。そして長く太い。
普通の人間が切れ切れになりながら持ちうる線とは違う、
そのことが彼女の表現を特別たらしめています。

この、「これまでの日常の出来事や感覚までもが、
今に、その表現に注ぎ込まれている」濃度を観て。
アニメや声優といった特殊なフィールドに興味を持つ
=高垣彩陽に接する、そのチャンスを獲得しているというのに
そこに近寄らない、読み込まないその鈍感さが
正直言って、僕には惜しまれて仕方ない。
優れた物語に接する機会を得ながら、みすみすそれを逃すのは勿体無い。

こういった事を書くと、
「それが本当の高垣彩陽ではないかもしれない」
といった反応が返ってくるかもしれません。
ブログだラジオだと言った自己表現によるものは
あくまで本当のその人ではない、と。

ただ、そんな事は全く問題ではないのです。
個人的には、この物語はリアルであると確信していますが、
しかしそれが外れていようが問題はない。
上で書いている通り
世にある創作物語、生きる物語。
どちらの足りない部分も補い、優れた部分をも両立させている、と。
ならば、それが万一、いや万一すらないと思っていますが
作為によるものであったとしても、その場合の評価は
「リアルでこんな物語を作成できるなんて、凄い」という話にしかならない。
つまり、今高垣彩陽が高垣彩陽であるその時点で、
彼女を追う事に、全く疑問を覚える事はないのです。

事実として、ここに優れた物語がある。
そして、この物語は恐らく歴史に強く刻み込まれない。
これは、チャンスです。今生きる僕らだけに与えられたチャンス。
だからこそ、元来ミーハー気質に欠ける、醒めた評価者である自分が
「高垣彩陽応援ブログ」なんていう、
数年前の自分なら笑ってしまうようなものをやっている。
彼女の器が、それをさせている。
これ以上に刹那的で(とはいえ、50年スパンですが)、
これ以上に中身のある物語に出会う事もないでしょう。
覚悟を決めた人は、是非彼女を、
「物語・高垣彩陽」を読み込む事に挑戦してみて下さい。
こんな物語を現在進行形で読めるなんて、
本当に幸せな事だと気づく事になるでしょう。

大袈裟でしょうか?まさに大袈裟。
大袈裟に思える人は、正常な感覚を持っている人です。
けれど、滑稽に思われる事も自覚した上で
敢えて「気付く前の人だ」と言わせてもらいましょう。
チャンスがない人は、彼女の名前すら知らないまま
同時代を生きている。
そうではない幸福というものに気付ける人が、
一人でも増えるといい。心からそう思います。

〜〜〜

このブログは彼女に認めてもらったり、
覚えてもらったりする為にあるものではなく
(だから、彼女のブログに対する
言葉のキャッチボール的な書き方が苦手なのです)
基本、「高垣彩陽嬢を評価する」為に存在しています。

開設当時は考えもしなかった事ながら、
握手したり、ブログや顔を覚えられたりと
個人ファンとしての充足も得ているものの
敢えて!それは二の次だと言わせてもらいましょう。
僕の名前や顔を覚えてもらう、そんな事よりも
彼女の素晴らしさに人が気付く、それが大事です。
え?重すぎるから逆に人離れを生む?

…ねえ?(笑)。

まあ、シラケ的な感覚や批判は理解はできるのですが
ここは一つ、「人を熱くさせる人」の素晴らしさを
素直に汲みとって頂きたいと思います。
ましてや、女性アイドルなどになびいた事もない
理屈っぽい人間をそう変えてしまう、という事の凄さを。

つまりは、高垣彩陽さんは凄い!のです。
自分の中にある感情の根っこは、
可愛いだの愛でたいといったものよりは
「良いものは良い」に尽きる。
本人がそう思う以上にそう思い、
本人がそう信じる以上にそう信じる。
彼女の事を異性として強く想う人、
キャラクターとして好む人、
彼女に時間や金銭を捧げる人、
様々な想いの形がある中で、当ブログは
世界で一番、高垣彩陽の凄さ、というものを
照れずに言葉にする場所でありたいものです。

良くも悪くも、もう、そうなってる説。

君がいる場所
ミュージックレイン
2010-07-21
高垣彩陽

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※限定版、Amazonで在庫切れおこしてしまいました。
 乗るしかないこのビッグウェーブに乗り遅れた人は、通常版をどうぞ。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
素晴らしいです!
高垣彩陽さんを知ってからまだ日が浅い私ですが、この記事に書いてある事は分かるような気がします。
私も気づいた側に近づいた気がします。
これまで何となく「凄い方」だとしか認識していませんでしたか、彼女の事を知れば知るほど本当に凄い方だな、という思いが強くなっています。
決して大げさでとも思わないですね。
感動させて貰いました!

それでなんですが、私のブログでこの記事を紹介してもいいでしょうか?
ダメならスルーしてもらって結構です。
みさわ
2011/01/11 23:12
みさわさん、コメントありがとうございます!この文章を読んで大袈裟と思わない時点で、結構特別な人だと思います(笑)。知ってからの日の浅さ…僕も『桜蘭高校ホスト部』時代から彼女に着目していた、という凄い人を知っていますし、その人には遠く及ばないけど。日々は想いで埋めればいいし、またこれから続く物語の長さを思えば、さしたる問題でもないでしょう。

特に今なんて、昔とは異なりラジオを中心にデータが溢れるほど存在しているのですから、追う事は難しくない。必要なのは、意欲だけです。沢山いる声優さんの中で、高垣彩陽さんに注目されたその眼力に賞賛を!

あ、引用でも紹介でも全くの自由ですー。何か彼女について知りたいなりラジオの抜けなりがありましたら、ブログトップのメアドにご自由にご要望をお書きください。応えられるかはわかりませんが、人が高垣彩陽という物語を知る事は、僕にとっても喜びなのです。
ルイ
2011/01/12 04:08

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