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zoom RSS 「オオカミさんと七人の仲間達」ナレーション演出の難しさ

<<   作成日時 : 2010/07/08 01:18   >>

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最近すっかり「J.C.STAFFの絵柄」イメージも定着、
既視感バリバリの絵で紡がれる
アニメ「オオカミさんと七人の仲間達」。
いかにもライトノベルらしい設定の、
いかにもライトノベルらしいキャラクターによる物語は、
視覚や声のイメージに新鮮味がないせいもあり、
唯一の?作品個性・ナレーションに
意識が集まってしまう独特の作品なのでした。

「オオカミさん」という作品自体は、
思いついたもの勝ちとすら思える、
アイディア一本釣りの作品に過ぎない。
・・・「過ぎない」というと
否定的な言い方になりますが、
作品自体がその「過ぎなさ」を狙ってもいるのでしょう。

洋の東西を問わないおとぎばなしから名前を拝借し
短編の展開もアレンジ元として利用。
そもそもの話、ライトノベルや
マンガ・アニメに出てくキャラクターというものは
この作品に限らず、どのキャラクターも
言ってみれば、おとぎ話のキャラクターのようなもの。
別に「とらドラ!」の大河がオオカミさんを名乗ろうが
大差はないわけです(笑)。

ここで細かく、それぞれのおとぎ話ごとの
横のつながり、伝承の差、
或いは知名度からくるパワーバランス等を
利用し、関係性に当てはめていくといった作品だと
また違った趣が出てきますし、その系統の作品としては
多少乱暴なところがあるとはいえ、
知名度を力として還元した「Fate」などがある。
けれど、この作品のメインキャラの名前や
1話を観る限り、その辺のリンク感覚はまるでなし。

こういう作り方をすると、作品としては
最初に言った「過ぎない」のように
とてつもなく浅い作品にしかなりません。
ただ、それは一面的な評価であって、
好意的に捉えれば人を選ばない・間口の広い作品でもある。
この作品をきっかけに童話、おとぎ話というものに
精通することがあるとは、到底思えないのですが
その辺の読み捨て感覚、後に引っ張る知識のなさも含め
まさに「ザ・ライトノベル」な作品だと思います。

たぶん、順序としても「おとぎばなし→ラノベ」
ではないのですよね。
この矢印の順序は、自分の本当に好きなもの、得意なものを
表現フィールドに活かすやり方。
「アクセルワールド」「ソードアート・オンライン」
の川原磔作品などは典型と言えるでしょう。
小説ではありませんが、以前取り上げた
「ぷよM@S」をはじめとした、ニコニコ動画の
「ニコマス」も多くはそのたぐい。
自分のフィールドを持ち寄るからこそ、
独自の知識集積が行われる場所になっている。

この作品はそうではなく、
「ラノベ→おとぎばなし」の順序なのでしょう。
最初に言った通り
こういった表現作品のキャラクターなんて、
たいがい極端なキャラクター付けですから・・・
そこに「あ、童話で記号付けすればいいんだ」
程度の発見で生み出されたものと思います。
もの凄く悪い言い方をすれば、ネタの搾取元と言いますかね。

まあ、先ほど浅いという表現を一面的評価と言った通り、
だから悪いという話でもないし
思いついたことそれ自体は、やはり発見であり、勝利とも思います

・・・やっぱり、物語にはさして惹かれないのも事実ですけど(笑)。
先に物語の金脈が埋まっていそうに思えないのでね。
もちろん、表面の構造がどうであろうが
そこに込めていく物語が、特別なサムシングを持ち込むことも
往々にしてあることなので、外観だけで
作品の器を断じてしまうのも、また早計であり危険である
ということも、付け加えておく必要はあると思います。
あくまで現時点評価、ということにしておきましょうか。

というわけで、そんな凡庸なキャラクターと世界観で描かれる
凡庸な物語(さっき気配りしまくった意味ねえええええ!!)
「オオカミさん」ですから、自然気になる部分は
キャラクターでも、話の展開でもなくなってくる。

この作品、とにかくナレーションの主張が強いですよね。

新井里美さんによるナレーションが、
キャラクターのセリフにすらかぶせて、流れてくる。
彼女の声自体癖の強い特徴的なものではありますが、
そこはあまり重要ではないでしょう。
作り手の選択として、ナレーションをこう使っている、
という事が重要に思えます。

おそらく、これは「原作ママ」でしょう。
小説における地の文が、ナレーション同様に主張の強いもので
まるでもう一人の登場人物のように機能しているから、
それをアニメでもそのまま再現した、と。
これによって「おとぎばなしらしさ」も出していますし
(あくまでラノベ→おとぎばなしの順序でしょうから、
ファッション、オリジナル性確保の為の
テクニックでしかないとは思っています)
それを守る事には、意味も価値もある。そう思います。

・・・でも、ちっとも好きになれないんですよねえ。
メリットも意味もわかるのに、まったく好きになれない。
新井さんの声が嫌いという事もないのに、
ナレーションをOFFできるならしたくてしょうがない。
これは、なぜなのでしょうね?

ナレーションそれ自体が嫌い、という事はないはずなのです。
アニメをはじめとした映像作品で
ナレーションが使われた作品なんて、いくらでもありますし
それに逐一引っかかった記憶は全くない。
最近だと「デュラララ!!」でもナレーションが活用されていたし
古くは「銀河英雄伝説」の屋良有作さんによるナレーションなんて
むしろ無きゃダメクラスに大好き。
そもそも、ナレーションが嫌いという事になると
もうすぐ始まる新番組「あそびにいくヨ!」にて
高垣彩陽さんがナレーションをされるというのに、
高垣彩陽応援ブログとしては
にっちもさっちもいかなくなってしまう(笑)。
なぜ「オオカミさん」のナレーションだけが苦手なのでしょうね?

色々考えたのですが、おそらく
「メディアの違いを軽んじているように感じるから」
嫌いなのかもしれません。

そもそもの話が、地の文というものは、
台本に置けるト書きなどの意味合いも含んでいて、
文字しか表現方法がない世界で、発言以外の動作や感情を
表現する為のツールになっています。
それはアニメになろうが、使い道はあるとは思うのです。
状況を整理する効果、内心を客観的に伝達する効果などなど・・・
ところが、「オオカミさん」のナレーションは
地の文をなんでもかんでも喋りすぎる。
僕はそう思います。

わかりやすい例えだと
オオカミさんの「残念なまでに胸のない」。
「目つきが悪い女の子」。
・・・・・・いいじゃないですか、
アニメーションなんだから。
絵がついてるんだから、
敢えてそんな事言葉にされると、
念押しが過ぎるといいますかね。
登場人物のモノローグで紹介するなら、
その人にとっての主観として処理されますから
さほど気にならないんですけどね。
ナレーションとして語られると、その効果が
視聴者にまで及んでくるような圧力を感じる。
だって、いるように見えても
「ナレーションさん」という登場人物はいないのだから。
※いる作りならいてもいいですけどね。叙述トリック的に(笑)。

どうあったか、どういう状況であったか、
ここで本当はどういう感情が渦巻いているか。
・・・そういったものに限らず、
どう見えるか、どう感じるかという「感覚」の部分も
支配にかかってくる、ここが嫌いなのです。
自分用の感覚を言葉にしようという
頭が働きを阻害される、千差万別でしかるべき
感覚的なものの「正解」を、表現や印象レベルから
逐一固定されていく、そこが気に食わない。

小説で、地の文に預けるしかなかった描写の多くは
映像の、音声の力で分担できるはずなのです。
それでも残るものがあるから、映像作品からナレーションはなくならない。
つまり、必要な分野を受け持ちあった結果としてのナレーションのはず。

でもこのナレーションには、それを感じない。

先日「生徒会役員共」について書いた際
http://rui-r.at.webry.info/201007/article_7.html
アイキャッチ中に表れる編集煽り的な文章が
人によってはくどいと思えるかも、という事を書きました。
今、双方向系サービスが人気の世の中では
僕らの観ながらの感想も、一つの大事な主張なのですが
それを、行う前に先手を打たれてしまうような居心地の悪さがある。
しかも、時間と耳を支配してのナレーションは、アイキャッチ文の比ではない支配率です。

先ほど書いた通り、
元がおとぎばなし的な語り口であるから、個性を出すため
それを活かしたいというのはわかります。
それでも僕は、我慢ができない。
極端に言えば、小説から映像になった事で
本来感覚は「主観」によるはずなのです。
当然ですよね。映像という形で「目」が作品に入り込む事により
文章以上に、映像というものは主観的なものになる。
地の文で明文化されていたように、視聴者に感じ取ってもらう為にこそ
映像は、コンテや、作画によって感覚を誘導するわけです。
しかし、このナレーションはその
本来映像が行うべき領分にまで踏み込んでくる。

これにより、映像を観ながら自分の感覚を
「本来の地の文の読みとり」にアジャストさせていくような事もなく
どこまでいっても、自分と作品の間に

自分〜ナレーション〜作品

のような形で、蓋をされてしまうような感覚になってしまうのです。
その自分と作品との距離は、物語への没入感すら低下させてしまう。
極端に言えば、どうせナレーションが喋るだろ、といいますかね。
しかも最初に言った通り、キャラクターのせりふにかぶせるというのが
また悪い相乗効果を発揮していて・・・
それがアリだと、極論全編どこでもナレーションできてしまうのですよね。
僕の観てきた作品のナレーションは。
ナレーションが挟まるべき間に、埋め込むようにナレーションが入っていました。
それすらないので、極論全編全シーンに対し
ナレーションという名の親切過多な説明・注釈は行われうる事になってしまい
観ていても、まるで気持ちが落ち着かない。

ナレーションの入るタイミングに法則性がない。
ナレーションが語る内容が、映像の「分」にまで入り込んできている。

この気持ち悪さによって、作中人物と
たまに干渉しあう、といったような
作品のウリらしき部分なんて、まるで気にならないというか
それ以前の部分で、僕はもう、苦痛なくらい
この作品のナレーションが嫌いなのです。
繰り返しますが、声の好みとか関係なしでね。
もしソフト版にナレーションOFFがついたら・・・?
まあ、それは自分たちの作品否定にもなりますから
果たしてそんな事をするかはわかりませんが、
しかしもし採用されるなら、それこそ演出の失敗を意味していますし
採用していないならいないで、気付かなかったのかなと
・・・どっちにしても許す気ないの?(笑)

さて、最初の方に書いた通り
数日後、「あそびにいくヨ!」にて
我らが高垣彩陽さんが、ナレーションを担当されます。
こんなにナレーションについて反応した直後に、
恐ろしいですねえ、今から不安でびくびくです。
本作のナレーションを、「新井さんだから」で否定していない以上
たとえそれが、敬愛する彩陽さんによるものだとしても
このタイプのやり方をされたなら、僕はまったく同様に
ナレーション演出を否定する事でしょう。

※ま、その場合は、作品演出としてのナレーションを否定しつつ
ナレーションそのものは演技、発声的にニコニコ聴くんですけどね!(笑)

正直「あそびにいくヨ」の形を観る前に
こんな事を書くというのは、本当に恐ろしい事です。
でもまあ、逆に言えば
「オオカミさん」が終わり「あそびにいくヨ!」が始まる
この間の時期だからこそ、バイアスのかからない
自分の思ったままの事が書けるのかもしれません。
そんなわけで、ナレーション演出批判を記事に残しておこうと思います。
・・・ああ、怖い怖い。頼むよ、「あそびにいくヨ!」!









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オオカミさんと七人の仲間たち 第1話 おおかみさんと御伽銀行の仲間たち
電撃文庫のラノベが原作らしいですが、原作は未読。 ヒロインはツンデレの涼子、主人公はヘタレの亮士。 2人が所属するのが「御伽銀行」。 生徒の悩みの手助けを「貸し」としてする代わりに、その後で「借り」という形で助力させる何でも屋といった所ですが、生徒会組織とか.... ...続きを見る
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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
こんにちわ。ナレーション私も聞きましたが、よく思われない方もいらっしゃるようで・・・
管理人さんも、この文章で何もかも否定はしているわけではありませんが。キャラがこの時どう思ってるかをナレーションが言ってしまう。自分たちが思っている答えをナレーションの方が言ってしまってる。物語のヒントと言うのか自分が思う答え導いているように感じるのでしょうか?(自分が書いてる・思っている・文章が間違っていたらすみません。)長文失礼します。
未熟者
2010/07/08 12:39
未熟者さん、コメントありがとうございます。
概ねそういう解釈で結構です。単純に言えば、「残念な胸」というのなら、それを言葉に頼らないで映像で、視覚的に視聴者にそう思いこませられないか?という事ですね。例えば巨乳の子の胸を映したあと、オオカミさんの胸にカメラを移動させれば?それだけで残念さの主張になるでしょう。全身を上か下からPANして、メリハリのきいたボディの場合カメラが左右に動かざるをえないのに、オオカミさんはまっすぐ縦移動できるとか・・・それはなんでもいい。

感じ方を誘導できるのがアニメーションの良さではないか、という事になりますかね。でも「練金3級まじかるぽか〜ん」のように、実はその人はいた!という描き方をするのはアリというか、むしろこの作品はそう落とすしか擁護できない気もします(笑)。
ルイ
2010/07/10 08:34
ナレーションがうざすぎて見るの辞めたわ!
やはりやりすぎはよくない
2015/03/31 23:55

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