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zoom RSS 『チャイナ気分でハイテンション!』で心地よいローテンションになる &CANAAN寸評

<<   作成日時 : 2009/10/06 12:25   >>

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10/10追記
聴いちゃいなちゃい。
この記事は、当然あやひごろが来る事を予見した上で
書いたものです。
ホントは発売日に来ると思っていたけれど
新番組に押し出されて、10日という形に。


『チャイナ気分でハイテンション!』前日購入致しました。
某いい感じのコンビニ通販で予約したら
発売日前日のしかも午前中という大技をやらかしてくれた。
アインのインスパイアードソングの時は逆に数日待たされたり
この博打感覚がたまらない…!
いや、安定してお願いします(笑)。


チャイナ気分でハイテンション!
ランティス
2009-10-07
ネネ

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そんな『チャイナ気分でハイテンション!』なのですが
いや、これは素晴らしいですよ。
当方、いわずもがなの声優・高垣彩陽応援ブログですから
何を言ってもある程度割り引いて受け取るのが賢明、とは
自分でも思いますが(笑)
これはあやひーCD史上ベストの1枚なんじゃないかな…
強く、強くオススメできる逸品です。
まず3曲で1300円というコストパフォーマンスの高さもそうですし
全ての曲にドラマがあって、噛めば噛むほど味が出る。
その分?関口さんの絵は1種類しかなく
パッケージ自体には淡白な印象も受けるのですが
それが逆に、楽曲勝負!という鋭さに繋がり
そして実際、楽曲がいい…。

M1 チャイナ気分でハイテンション!

『CANAAN』のカーチェイスでお馴染み、タイトルチューン。
ひたすらアゲアゲの曲調に、気付けばノリノリ。
その勢いは、耳からくるものだけに留まらず
脳内ではタクシードライバーが「ネネちゃんのためにもねぇ!」
とか言ってる映像が浮かび、煽る煽る。
サビの部分でカーチェイスが流れない人は少ないはず。

作詞が岡田磨里さんという事で、脚本家の業とも言える
かぶせ系オヤジギャグが大炸裂、聴いてるだけで愉しい。
以前書いたように、編曲はどうしても、どうしても!!
「胸のドラ」は百歩譲って諦めるにしても
最後の最後が「ゴワァーン!」で〆て欲しかった…!orz
的な感覚はあるのですが。
それにも増して、彩陽さんの歌唱の
表情付けの巧みさが映える映える。
「水飲んじゃダメ〜!」のところの、
「ダ」にアクセントを置く言い回しであるとか
ボーカロイドにはひっくり返っても出来ません!!

というと現在の一大勢力にケンカ売ってる事になるかな?(笑)
まぁ、決してボーカロイドに好意的な人ではないので…。
例えばローランドの808が出た時、一気にデジタルの技術が
音楽的な要求に応えられるようになり、裾野を広げたように
1つの表現者発掘ツールになっている事は、否定しませんが

それって別に、ボーカロイド経由じゃなく
音楽表現に到達「できた」人達を上回る要素じゃないですよね。
ボカロ楽曲ばかり聴いている人が、やれ名曲神曲と言った所で
僕はその多くにピンとこないので、その辺
過大評価しすぎず、過小評価しすぎない
バランス感覚が要求されて、結構やっかいな存在です。
実際これは面白い、と思う事もありますけどね。
「初音ミク」という存在そのものは、傑作も傑作だと思いますけど
(すいません、後発のボカロよくわからないw)
それと、彼女の歌う楽曲、或いは歌唱の評価はイコールにならない。

脱線。

個人的に素晴らしいな、と思ったのは
「自転車爆走ブレーキなんて効かない」の一節。
これ、作詞は岡田さんなのだから
当然自らの書いた本編とのリンクで
「自転車」を「自動車」にしてしまえば
そのまんまタクシーカーチェイスと繋げられる部分。
なのに、それをしていない。何故?
自動車でブレーキ効かないと
ちょっとシャレにならないから?(笑)。
そうかもしれませんが、ここでは
『true tears』の10話、眞一郎のチャリ漕ぎを思い出しました。
岡田さんも彩陽さんとの仕事という事で
そこを若干意識されたのではないか、と
ファンとして妄想してみたり。

M2 いのちなんだよ

隠れキラーチューン。
『CANAAN』本編ではリャン・チー様の替え歌バージョン
「しんじゃうんだよ〜」でお馴染み?の楽曲。
ノリノリの『チャイナ気分』と、
高垣彩陽のガチ歌唱『LIFE』に挟まれ
若干中間管理職の悲哀(?)が感じられるかと思われたこの曲ですが
全体通して聴いてみると、歌詞が強烈、強烈…
これまた作詞、岡田磨里さん。
完全に、作品テーマのひとつを込めている。
特に2番は「作詞家」としては決して褒められた仕事ではない。
物凄く歌いにくい、不思議な譜割りへの言葉選択になってますから。
でも、その歌詞の持つ、主張という名のエネルギーが
強烈すぎて…これはもう、歌いやすいとかじゃなく
言いたかったんだな、と。そういう想いが伝わってくる。

1番だけだとぼんやり伝わってくる程度ですが
後々聴いていくと
大切な人を喪った人が、その後の人生を生きていくという事について
飾らない歌詞で、強烈に訴えかけてきます。
こんな悲しいことは人生で二度とないだろう、と思うような後でも
人には「幸せ」が訪れたりして
それを、喪った人に対して申し訳なく思ったり
今幸せを感じる自分自身って、一体なんなんだ!と自責したり。
けれどそれは、太陽がひとめぐりしてまた昇るように
眠気や食欲がやってくるように
「自然」であり、それが生きているという事なのだと。
大事なのは、過去に遠慮して喜びなりを封殺する事ではなく
その過去を忘れず、エネルギーに転化していく事だと。
「私もいつか帰るよ あなたのところへ」ですからね。
人生そこまで長くない。
「あなた 愛なんだよ ずっと」
愛=I(自分)。喪われた愛はIの中に抱えていけばいい。

物凄く良い歌詞です。
過去に囚われず、過去を糧にする。
それは本編で、シャムの死を
カナンとアルファルドがそれぞれ
どう扱ったか?という所に繋がるテーマでもあります。

この歌詞「ありき」で本編を思い返すと
色々感じるものがある。
何人かが、この重たい曲を着メロにしています。
リャン・チー様とユンユンがしていたんじゃないかな。

とてもつまらないことを言ってしまえば
ネネを宣伝する為なんだから
ネネの曲を登場させる為に、着メロにしましたよと。
勿論その側面もあるのでしょうが
敢えて歌とキャラだけで読みを入れてみると
たとえばユンユンは、ウーア感染の村で
喪った家族や友人を、この歌の「あなた」に
見立てて生きてきたんだろうな、と思え
妙にグッときたり。

リャン・チーの場合、
そんなセンチな感情は無いように思えるのですが
人に愛されることは、人の記憶に残ることが究極だ、という事は
理解していたのでしょう。
意味不明の筋道でアルファルドを売り渡し→救出したり
最終的には殺し合いをする事に喜びを得たり
(あの瞬間、アルファルドの心を独占できたからですね)
彼女はアルファルドにとっての
「あなた」になりたかったのかもしれません。

そんな、色々考えさせてくれる
岡田磨里渾身の歌詞・高垣彩陽渾身の歌唱
サビの最中、後ろで同じ音階を繰り返し奏でるピアノは
あたかも一日の、そしていのちの繰り返しの如し。
買う前はこんな事言う気サラサラなかったけど
『いのちなんだよ』の為だけに買うのもアリです!!

M3 LIFE

本編では、最終回で使用。
ドラマチックな間奏部分で、
出家カミングスが脳内再生されるようになったら
あなたもウーアウィルス感染者。って嫌だよそんなの!

表現者・高垣彩陽MAX状態。
以前、彼女のカバーアルバムを希望した時
彼女の歌唱に応えられるほどのメロディを書ける人は
そうそういないだろう、と思えるから。
特にアニソン業界は、打ち込みのポップソングは発達しておりますが
彼女のように、魂から歌い上げる
(文字通り、歌いあげる)人に適した曲は少ない。

などと書いていたら、やってくれました。
高垣彩陽に相応しい曲が登場。
以前書いた↑の内容は、現在でも撤回する気はなく
確かにアニソン業界主流では、そういう曲は多くない。
けれど彩陽さんの姿勢が、自らに相応しい人との縁をつなげて
全体からすると決して多くないはずの、「そういうメロディ」を
次々引き当てる、凄い循環が発生している。
アインのインスパイアードソング2曲目や
KOKIA作曲なんてのも、そうですよね。
今はただ、その事を素直に喜びましょう。

作詞は岡田さんではなく、yozuca*さん。
しかし、ここにも本編との繋がりはキッチリ存在します。
岡田さんがチェックを入れたのか、伝達したのか
或いはyozuca*さんが作品を掴みきったのか。お見事。

「希望の光になる」
キボウノチ。

CANAAN総評的な部分で触れようと思っておりましたが
CANAAN=約束の地、希望の楽園。

カナンなんて、ない。
或いは、カナンはどこにでもある。
希望の地は、今ここに。

という事で。
相手と共に在りたい。そこが自分にとっての楽園。
それを1つ越えた所にある
「この世界にいるであろう、或いはいたであろう
人を胸に刻みながら、生きる自分がいる
今ここが、希望の地」。
これは『いのちなんだよ』とも緩やかに繋がっていて
喪った人も、遠くにいる人も
胸に抱えて生きていけば、その生自体が

「カナン」なんて大仰な名前を持つ存在に縋らなくても
「マリア」なんて大仰な名前を崇拝対象としなくとも

そこがそれぞれにとってのカナンで
それぞれにとっての希望の地なんだよ、と。
それが結局、マリアが冒頭で口にした
「ありのままを見つめる」でしたか、そういった言葉にも
また、シャムがカナンに伝えた
(とはいえ、あれはカナンの中のシャムですから
カナンはもう、理解していたんですね)
「生まれもった奇異な感覚に頼らず、そのままを見つめる」
事とも繋がる。
そうすれば、例えばマリアから見たカナンが
普通の子(友達)

普通じゃない(友達?)

普通の子(友達)
という一巡りをしたように
幻想を壊したその後でも、一周してそこに辿り付ける。
冒頭のマリアが言った、カナンへの
最初の「普通の子」というのは、何も見ていない目からの言葉。
カナンはマリアとはまるで違う場所で生きてきた。
それなのに、下水道での
「カナンが殺すわけがない!」なんていう考え方は
とても勝手な、自分のフィールドでの「普通」の押し付け。
その事に気付き
カナンの「普通」は自分の「普通」と同じではないと認識し
その事を踏まえた上で、1人の少女の感情の動きに
「人としての普通」を汲み取る。
それが、ありのままを見つめるという事ですし
最初と同じようで、最終話の
「普通の女の子」は、一巡した別の意見、到達点です。

※これは、カナンにとってのマリアも
友達→光→友達のようなシフトで、同様の経緯を辿っています。

そうやって、あるがままを受け入れていけば
喪った命も
生きる世界が違うことも
全部受け止めて、その上でキボウノチに居られますよと。
そんな心を抱えて生きていられれば
その場所が、即ちカナンですからね。

ちょっと駆け足気味で、当初総評で予定していたものを
えらくざっくりと書いてしまい、ツッコミホイホイ状態ですが
まぁ、そんな感じで受け止めておりまして
それを歌い上げる、壮大な作品テーマソングが『LIFE』なのでした。

それにしても、「どこにいても感じられる温もり」
の、「もり」の歌い方が素晴らしい…。

と、最初の1曲がアゲアゲだったわりに
2曲目3曲目がガチンコでテーマを主張してくる重い歌で
気付けばハイテンションとは到底いえない
しかし清らかな気持ちになっている、という
感情のジェットコースターを堪能できる
アルバムのような構成の存在する逸品なのでした。
全体的に、作品に近づきすぎず
それでいて作品を語る、という
絶妙な距離感を持った歌ばかり。
そんな中での『チャイナ気分でハイテンション!』は、
彼女の歌の「正体」を隠す為の
ある種のデコイじみた楽曲なのかもしれません。

なんにせよ、3曲すべて聴く価値あり、です。

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