ひまわりのむく頃に

アクセスカウンタ

zoom RSS Phantom 〜Requiem for the Phantom〜 26話「江漣」 世界と繋がる

<<   作成日時 : 2009/09/25 21:16   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 2 / コメント 0

私たちは…誰でもないパントム…。

こころなーくしたー♪…あれ?パントム?

私たちは…
ついに『Pantom』が最終回を迎えます。


(ノ∀`) アチャー

さて、いくら敬愛する彩陽さんの
一世一代の奇跡的なボケと言えども
そこを拾い続けるわけにもいきません。
個人的には「アインたん」などと
彩陽さんが「たん」付けしている事に
衝撃を受けたりもしたのですが
おそらく身近にいる、ジョイまっくすさんという
アフロのおっさんの影響という事で(笑)
それも、置いておきましょう。
今回もガチ気味。
ちなみに前回宣言した通り、原作経験者ですが
演出的な意図を探る目的でもない限り、2つを対比させる気はありません。
趣味じゃないんですよね。
今回生まれた表現をとにかく探る。全てはそれからです。

Phantom 〜Requiem for the Phantom〜、最終回。
「江漣」。
長文ですので、一応BGMでも貼っておきましょうか。
音楽紹介ブログの側面もありますからね(笑)。

lindisfarne-lady eleanor
エレンとは、「エレノア」の愛称でもある。
大丈夫だよ、レディ・エレノア。
僕はいつも君の腕の中にいる。


リンディスファーンというバンドは
イングランドのトラディッショナル・ミュージックの旋法を活かしつつ
ポップなフィールドで、優れたメロディを歌い続けたバンド。
中心メンバーでもあり、作曲も手がけていたアラン・ハル(故人)を
以前レコード雑誌が「下町のポール・マッカートニー」だったか
そういった形容をしていて(ジョン・レノンだったかも?)
とにかくその形容が、まさに正鵠を射ているな、と思った事を覚えています。
泥臭く、洗練には程遠く、けれど美しいメロディを書く人だった。
本当に、
本当に、
本当に大好きなバンドなのですが
彼らのデビューシングルである「レディ・エレノア」が
僕にとっての、江漣のテーマソングなのでした。
曲の展開も江漣の人生を想起させませんか?

※余談ですが、スフィアのメンバーである豊崎愛生さんが
トム・ウェイツが好きだパブロックが好きだ
ドクターフィールグッドは神だと、趣味モロかぶりな事を仰っていて
あまりの嬉しさで
彼女にリンディスファーンをプレゼントしたくなったりもしたのですが
…やっぱ、それって違うやん?
僕は高垣彩陽さんしか観てないのだから
自分に嘘はつけない。

さて、本編。

ある部分だけを抜き出せば意外、驚きかもしれませんが
全体から見れば、別にそんな事はありません。
優れた物語は、必然という名のコーティングで
驚きをも包み込む。
瞬間瞬間驚きはしても、冷静に振り返れば
そこには必然という名の足跡が、遠くまで残っている。
「当然の意外」の繰り返し、それが優れた物語というものです。
『true tears』でジュンジュンこと可愛いオッサン(失礼w)
西村純二監督が仰っていた「感情に沿いながら、展開は裏切る」
も同様の事です。

基本的に、これまで何度か書いてきた事の範囲の中で
展開しているので、抜き出しておきます。
phantomという物語は、全てを奪われた状態から
だからこそ見える、己の存在意義を探す物語。
縁という名の糸をすべて断ち切った状態から
世界に繋がる方法を描いた物語、とも。
5話において、ツヴァイ(玲二)は無垢な瞳の男の子と、そのお母さんを殺しましたよね。
倫理的に言えば、到底許される所業ではない。
物語はよく倫理的に「いけない事は、いけないんだよ!」
という道徳的なテーマを断罪という結果でもって
(簡単に言えば、「悪い事した人」はこらしめられる、死ぬわけです)
付与しますから、あの時点で物語常識で言えば
玲二(勿論エレンも)は“アウト”です。
ただ、そういった大人たちの企てに翻弄された中で行ってきた
許されざる宿業(カルマ)にまみれた中でも、人が幸福…というか
世界に存在しているという実感を得る方法は、あるんですよね。
「悪い事した奴は、生きて一瞬でも楽しむ事は許さない!」という類の考え方をしていると
引っかかる部分かとは思いますが…それはそれ、これはこれですよと。
そこに、この業の螺旋から逃れる術があるのかもしれませんね。

phantom DVD第1巻発売記念トークショー


基本的にはここで書いた事の通りで、特別付け足す事はありません。
「それはそれ」というのは、久々登場のマグワイア様が語ってみせた
社会的な意味での生、社会的な意味での世界との繋がりは
断ち難いという事実。行ってきた数々の殺人。
亡霊と言えど、存在を知られた2人。
そのまま生かしておくと、インフェルノという組織が立ち行かない。
にしても、アイザックを失い、それでもインフェルノのトップで
居続けるしかないマグワイアの生も、察するに…まぁ、余談です。
志賀にも似た事が言えますけどね。
彼らの地獄も察するに余りある。

「これはこれ」というのは、江漣の最後の笑顔に象徴される
ただこの世界における生を
この世界の中にいる自分を実感する、という幸福。
前話までにおける、玲二の選択がそうであったように、
全てが望みうる理想の結果ではないかもしれない。
でも、これでいい。これがいい。
そう感じた江漣にもまた、今という世界の一回性が
美しく映っていたことでしょう。

この2つは、互いを脅かさない。両者不可侵、
まるで別種の価値観として屹立しています。
しかし、玲二や江漣の生きた死んだに
グッドエンド、バッドエンドなんて言葉を絡めて
過剰に拘泥する人は、おそらくはこの2つを
同一軸に捉えてしまっているのでしょう。

そうではないのです。
それを言い出すなら極論、僕らは100%死ぬ。
途中で死のうが寿命を全うしようが
そこにグッドバッドの基準を置くなんて、ずいぶんと平和な話。
断絶するからバッドエンド?
不治の病にかかった人にバッドエンドだとでも言う気なのか。
そこじゃない。
今作品で語られているのは、そこじゃない。

人が、何を寄る辺として
この永遠の地獄の中で、微笑む事ができるのかという物語であって
極端に言わせてもらうなら、死ぬか生きるかなんてのは
たいした問題ではないのです。
それを、江漣は最後に得る事ができ
玲二は最後に与える事ができた。
そして、「与えることができた」事によって
玲二の間違いだらけの、人を殺してまで得てきた生に
はじめて実感が伴った、ともいえます。
これを単純にBADだ、欝だというのは勿体ない話。
単純な成功失敗…それは恋愛成就なり
勝利敗北なり生存死亡なり、色々な形がありますが…
それとは別種に存在する、生の価値
生の実感というものに
多くの人がもっと自覚的になればいいな、と思います。

さて、26話におけるいくつかのポイントについて。

・仮面を取らないツァーレンシュヴェスタン

玲二と江漣の活躍で、バッタバッタと倒されていく
ツァーレンシュヴェスタン、別名数字娘たち。
彼女たち、徹底して仮面の下が描かれません。
同時に声も無い。
このことで、徹底して
感情移入対象から外そう、としている事が伺えます。

彼女達も、突き詰めれば江漣と同じ。
江漣と何が違うって、結局タイミングでしかない。
タイミングが違えば、彼女らの誰かが玲二と出会ったかもしれないし
玲二とその娘を始末するべく、ツァーレンシュヴェスタンの一員として
江漣は登場していたかもしれない。
現実にタラレバはありませんが、それくらいのギリギリの綱渡りの結果
今江漣は、江漣としての必然を紡いでいる。
哀れな、運のない娘たち。
言い換えれば、江漣を江漣たらしめたのは
彼女が特別な何かを持っていたから、というよりは
ある意味で運が良かったから、に過ぎない。
現実のいくつかの偶然は、理由も必然もなく
こんな程度で起こるもの。
そんな、偶然のめぐり合わせに過ぎないものに
「運命」を感じる、いや必然だと思い込んで見せるのが
これまで語ってきた「一回性」ということ。
だから、それに恵まれなかった数字娘たちは
素顔が描かれない。
それはこの世界では、望んでも得られない可能性だから。

※江漣は江漣で、サイスに洗脳されたので
運が良いとは言い辛いものがありますが
しかし、お陰で彼女は玲二に出会う事ができた。
結局一回性を受け容れるというのは、全ての過去を必然とする事。
どこかだけにタラレバを活用して、
どこかだけをそのまま残すなんてありえない。

・変わらないサイス、変わる江漣

サイスと江漣の対決は、徹底して
「サイスの思考を読みきる江漣」で説明がつく。
屋上に正面から現れた時点で
「サイスを撃っちゃえばいい」と突っ込んだところで
撃ち殺した後、残ったツァーレンシュベスタンに
自分が始末されてしまっては、玲二が危ない。
逆に、屋上にノコノコ現れた江漣を速攻で殺すのは
美学に外れるので、それはしないという冷静な読み。
サイスの興に乗りつつ、娘たちを始末する。
江漣はかつての自分を客観視できるようになっていた。

玲二と江漣、実戦から遠ざかっている2人が
現役バリバリのツァーレンシュベスタンを
しかも3倍の人数を相手に、凌駕する。
一体何故?という部分も、この
サイスは停滞し、江漣は変わった…という表現のみで
全て説明できています。
戦法も、戦術も、サイスはそのままで、同時に
江漣は「サイスがそのままであること」がわかっていた。

また、直接関係はありませんが
それと対比して、玲二の方はどちらも
その場の状況、環境というものを利用して敵をしとめています。
まさに生存の為の最善手をナチュラルで打てる「ツヴァイ」ならでは。

・「ミューズ神の悪戯…」

実は、今回一番難しい部分かもしれない。
江漣に銃口を向けられ、かつてのアインならば
撃ちようがない筈のシチュエーションにも関わらず
今まさに自分を撃とうとする、アインだった少女。
サイスの「素晴らしい…素晴らしいぞ、アイン」は
負け惜しみではなく、正直な感嘆でしょう。
彼女は自らの想像を超えてみせた。

かつて玲二に命を奪われそうになった時
ヒイヒイいいながら逃げ惑っていたサイスとは違う。
けれど同時に、江漣の言う通り
サイスは「変わっていない」。
ならばあの時のサイスと今回のサイスは何故
別人のようなのか?
それは、自らの望む舞台=シチュエーションを
達成したか否かに過ぎない。
サイスは成長なんてしないのです。彼は、変わらない。
単に、玲二の時は未練が沢山あって
(次のファントム作りたいー、みたいな)
今回は、自らが考え付く
最上のシチュエーションを用意していた為、未練がなかった。
それだけの事だと思います。

しかし、それでも最後のサイスには不思議な部分がある。
つまり「素晴らしいぞ」と呟き、微笑んだ時点で
サイスは自らの死も含めた閉幕を、受け容れているはず。
それなのに、その後サイスの表情が動く。
目を潤ませながら銃口を向ける江漣をじっと見つめて
それから天を仰ぎ、「あぁ…ミューズ神の悪戯…」

ここを完全に読むのは、大変に困難なのですが。
江漣の感情の揺らめきを見て、サイス自身にも何か感じるものがあり
そんな何かを感じる自分自身が、大変に興味深かった、であるとか。
何かしら、江漣に、そして江漣を見る自分に
「興」を見出したのでしょう。
江漣とサイスの、不思議な関係。
実は、2人の間には親子の情にも似たものが…

あるわけない(笑)

けれど、歪んだものにせよ、絆はあった。
それは、江漣にしてみれば
どんな非道な、憎むべき男であっても
彼のお陰で今玲二と出会えている、という厳然たる事実。
サイスにしてみれば、温情などは微塵もなく
ただ作品として作り上げてきたはずのアインが
今自らのビジョンを凌駕し、自らに哀れみの視線を向ける。
その時感じた、摩訶不思議な感情。
それらが繋げる、無二の情。
一瞬囚われるサイス=マスターは、大変魅力的でした。

・ラストシーン

まず前提として押さえておきたいのは
最後の描写の有無に関わらず、江漣も玲二も
命を狙われ続けますよ、という事実。

マグワイヤが宣言した通りです。
だから、ラストシーンの有無によって
グッドエンド、バッドエンドなんて分岐は発生しない。
もし発生すると思っているのなら、失礼ながら
都合の良い鑑賞のしすぎと言いますか…
サイスを倒しました、すべての戦いは終わりました、
→もう命を狙われる事はありません、めでたしめでたし。

違うでしょう?

江漣が言った「最後の戦い」は、自分達が
銃を向けて立ち向かうのが最後、というだけで
為してきた事と、そこまで綺麗に縁切りはできない。
この世界に生きているのだから。
もしラストシーンを描写しないで
江漣の微笑みだけで終わった場合に
「ハッピーエンドで良かった」などと思う人がいるのであれば
それは都合の悪いものだけ観ない、
おおいに身勝手な鑑賞方法だと思いますし
そんな視聴を赦さない、という意味において
ラストシーンには価値がある。
TVは文字媒体と違って、展開、動作、間で表現する必要がありますから
わかりやすく表現するには、間違った選択ではありません。
つまり、本質的な意味で
ラストシーンの有無によって、作品が違うものを志向するという事はありえない。
どちらにせよ、遅かれ早かれという可能性の範疇であり、
そこを無かった事にされないよう、真っ向から描写してみせた。
それだけの話とも思うのです。

加えて言えば、この選択を採るからこそ
5話の、つぶらな瞳の子供殺しがあったという事ですね。
何度か触れたとおり、あれは「赦されなさの強調」。
ただ、こちらもラストシーン同様
有無によって本質的な何かが変容するわけではない。
アインやツヴァイの殺しは、その1つ1つの殺し
全てにおいて、少年と母親同様の
「強制的な人生の断絶」を強いている。
その事自体は、5話があろうがなかろうが違いがない。
しかし敢えて、最も「赦されない心象」を与える
可愛らしい子供、という形で描く事で
視聴者に都合の良い鑑賞を赦さない、無かった事にさせないよう
意識をプールさせるという狙いがあったのでしょう。

間違いだらけで、どの約束も果たせなかった俺の人生。絶対に守りたい約束

ここから先は必要ない。何も見つからなくても、私には、あなたに貰った名前がある

君を、笑わせる

あなたとすごした、記憶がある

本当の笑顔を取り戻す。いつか、きっと

それだけで、それだけで十分に私は、生きていける。ただ、それだけで


・「それだけで、十分に私は生きていける。ただ、それだけで」

「あなたがいない世界に私は生き残りたくない」からの
発展的なシフトが行われています。
つまり、僕らは死ぬ時1人で、個々のタイミングで死ぬ。
永遠を誓った仲であっても、死を管理する越権行為(自殺)
でも選択しない限り、基本的には
タイミングをそろえる事はできない。
「あなたがいない世界」は、どちらかに必ず訪れてしまう。
そこに生を預けるのは、少し辛い。
なら、どこに預ければいいのか?何でもって
この世界における生を感じればいいのか?

その答えを「相手」そのものから
「相手がくれたもの、記憶」に緩やかに移行させた。
それはこの世界において、最も堅牢な城。
相手そのものは、何かが起これば自らから離れてしまう。
それに対して「いないなら生き残りたくない!」なんていうのは
美しいけれど、一種の駄々。
それに比べて、相手のくれたものを抱えて生きる、というのは
自分の思考と記憶が残る限り、自分の死ぬ時まで
大切に抱えていけるもの。
最終的に、自分の内に生きる実感を求めながら
同時にそれは、1人では決して辿りつけないものでもある。
「誰か」に出会う可能性としての生。可能性を与える世界。
その世界に所属する自分。
その美しさは、その誰かが喪われたとしても
なんら減じる事のないものでもあります。

草原に横たわり、空を見上げる江漣。
彼女が死んでいるのか、生きているのか?
…どちらにしても、大した違いはない部分ではあります。
マグワイヤがツヴァイの殺しだけで禊は済んだ、と考える
そんなケースがあるなら話は別ですが
これもまた、遅かれ早かれの話。
そして、死のうが生きようが、の話でもある。
今江漣が得たものに変わりはないから。

・「いつか、きっと」

そう呟いた直後、玲二は馬車の荷台から
サイレンサーつきの銃でもって撃たれ、倒れる。
そしてその直後、振り返った江漣の微笑み。

※言うまでもない事ですが、江漣を1人にしようと
玲二は離れた所で空を見上げているので
江漣はサイレンサーも聞いていなければ、
おそらくは倒れた玲二も見ていません。

彼の約束は既に果たされていた、ということ。
決して「笑顔を見たい」ではなく
「笑わせたい」。この2つの違いは大きい。
それでも僕らは、玲二に
彼女の笑顔を見せてあげたい、と願ってしまうし
その点で、玲二は可哀想とも思う。
けれど、約束自体は果たしている。
本人が自覚できるかできないかは別にして
彼は、彼自身のこれと定めた
「自分で決めた、唯一つの運命」を全うしたし
その結果を知りえないのは、いわば
これまで暗殺者として、人の生に断絶を与え続けた者への
厳しさなのかもしれませんね。

まぁ、僕らも皆
「死にますよ?ハイ今死にますよ?…せーのっ!」
って言って死ねるわけではないので
これはさして特別なものではなく。
いつも僕らは、何かを残しながら逝く。
ただ、作品の温度が表れた選択です。

・エンドカード
画像

正直言いますと、いまいちわかっていない部分。
二丁の銃が、玲二と江漣を示したものであるのは
最初のOPなどを観ても間違いないのですが
この悪魔のような手は?
玲二が殺されたからといって、銃を取り
復讐に燃える江漣の暗示、なんていうのは
自らカルマの螺旋に戻るだけですし
あまり価値はない。
玲二の死体を見つけ、悲しんだとしても
「私たちは、こうなっても文句を言えないような事をしてきたわ」
といった達観に向かいそうな気すらします。

ムリヤリ読むと、これまでの全ての行いを
綺麗事にしません、という宣言でしょうか。
銃を取り、人を殺めるのは
その行為自体、人の理からは外れた「悪魔の業」で
その事自体には断罪をもって望む、という
作品への基本姿勢の表明かもしれません。

正直、エンドカードにはあまり興味がいっていない。
映像ソフト化されて残す部分でもない限り
あまり拘ることもないようにも思う。作品は本編の中に。

ただ、作品として揺らがないまま駆け抜けた
良いラストシーンでありました。
原作でただ「草原」のみを遊んだ僕としては
大好きですし、本質には違いがないことも明記します。

死が関わる所にこの表現を使うのは、いつも憚られるのですが

良かった良かった。

〜〜〜〜〜〜〜〜

あっと、このブログは
声優・高垣彩陽さんを応援するブログなのです!
彩陽さん、お疲れ様でした。
彩陽さんは、カンで演じるタイプの人ではないと思っています。
自分の全部を振り絞ってこその役者。
そういう意味で、売上げや知名度を無関係で
演技視点で代表作を3つ挙げろと言われたならば
(全てを大切に思われている事は承知の上で、敢えて)
「true tears」「ダ・カーポ2SS」に続いて
また大切な代表作が出来たと考えております。
これからも、感情の際を表現できるような
素晴らしい役に巡り合われんことを
切に願っております。
ひたすら生真面目に応援させてもらいますよ。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 5
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(2件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
(アニメ感想) Phantom〜RequiemforthePhantom〜 第26話(最終回) 「江...
Phantom~Requiem for the Phantom~Mission-4 [DVD]クチコミを見る ...続きを見る
ゲームやアニメについてぼそぼそと語る人
2009/09/26 13:32
◎PhantomRequiemforthePhantom第26話最終話「江漣」
レイジとエレンを、サイスマスターの量産型ファントムが襲う。レイジが量産型と戦ってるあいだに、エレンはサイスマスターを倒しに行く。エレンはピンチになるが、結局量産型を倒して、サイスマスター追い詰めるが、サイスマスターは降伏するという。降伏すれば、エレンに... ...続きを見る
ぺろぺろキャンディー
2009/12/05 22:35

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
Phantom 〜Requiem for the Phantom〜 26話「江漣」 世界と繋がる ひまわりのむく頃に/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる