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zoom RSS 『映画の達人2 エンドクレジッツ』に竹田悠介登場、思わずtrue tears背景記事を再掲する

<<   作成日時 : 2009/09/20 03:04   >>

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映画の達人2 エンドクレジッツという、フジテレビの深夜番組。
特別何も考えず、PSPゲーム『428』をプレイしながら
TVをポチっとした途端、衝撃的な映像が飛び込んできました。
なんと今回(第22回)、
アニメーション背景美術監督 竹田悠介
さんが扱われているではないですか。おそらくは
これから劇場公開される、『東のエデン』の宣伝をかねてのことであり
扱われていたのは、東のエデンの背景画ばかり。
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しかし、現在背景美術界をブイブイ言わせる(?)
Bambooの、しかも竹田悠介さんのスタンスや美術の過程を観られるという
衝撃的なお宝番組なのでした。
ぐ、ぐ、偶然チャンネル変えた俺、グッジョブ。
超グッジョブ。
でも突然の事過ぎて、録画できなかったよ…orz

竹田悠介さんといえば、僕の中では
篠原理子さんとともに、『true tears』の美術監督をされた事で有名。
押井作品とかさておいて、とにかくそこで有名(笑)。
丁度当時、背景美術に特化?した形で
true tearsの素晴らしさに触れているので、チャンネルをポチった縁で
再掲しておきます。
ただ、このときも僕は「フィクションとしてのリアリティ」
という言葉を使っていたのですが
実際、竹田さんが「リアル」という言葉の取り扱いについて
注意深く語っておられたのが印象的でした。
キャラも含めた、画面情報としてのリアル。
それは、正しい「これがリアルな背景だ!」という
ゴールがあるものではないのでしょう。
背景から生まれるような作品が出てこない限り
どこまでいっても、背景は、キャラをはじめとした
作品ごとの「物語の温度」を見つけ、それに最適な答えを
ケースバイケースで探していく事になる。
そんなプロの矜持が見える番組でした。
実写取り込みすればリアルなわけじゃない、と。
メモメモ…
そういえば竹田さんは、「魔法遣いに大切なこと〜夏のソラ〜」
ごらんになったのでしょうか(笑)。
竜美堂の仕事…
取り込みや実写準拠自体を悪とは言わないけれど
風呂のお湯は張ってるのに栓が抜けてたり、車が上を通るのに
段差などをガン無視、といった「ただ背景が存在する」形では
フィクションとしてのリアルは、得辛かったのではないでしょうか。

では、再掲です。

 「true tears」(以下「とるてあ」)の物語において、巨大な存在感を放っているのが背景美術、とりわけ今回触れる仲上家。物語中、石動乃絵は仲上家の敷居を一度も跨がなかったものの(後述する事になるかもしれません、乃絵にとっては仲上家こそが「立ち入れない物語」の象徴の一つです)その分仲上眞一郎と湯浅比呂美の物語は、そのほとんどがこの場所に集中しています。とても軽視できる場所ではない。けれど、それにしても、この建物の存在感は群を抜いています。今建物の中にどこにいて、何をしているか?視聴中も家の中のシーンでは、ほぼその事を考えていました。

 そんな仲上家は、意味のない、マニアックな作り込みだったのでしょうか?僕はそうは思わない。「とるてあ」という作品自体が「セリフを減らして、それ以外の情報を大量に投入して演出していくやり方」(西村監督のインタビュー発言)を取っている為、背景情報も立派な演出になります。つまり、上の「何をしているか?」に続きますが、「何故そこにいる(行く、来た)のか?」。セリフではまるで説明されないその事までも、建物の構造を背景などから注意深く追っていくと見えてくる。そして、それが見えてくる事によって何が演出されるか?それは、物語を紡ぐメインキャストたる、人物達の息づくような「フィクションとしてのリアリティ」。行動の「流れ」が見えてくる事が、人物の積み上げや存在感として機能していき、それはボディブローのように効いてくる。一つ一つのカットにいる事すら細かく読めるのだから、どんな些細な情報も見逃すまい…自然と、そういう心構えが身についてきます。本質的に、この作品はKOパンチ狙いの作品ではない。こんな風に、拾えるところを全神経を使い拾っていく事で、それに見合うあるいはそれ以上の見返りを得られる。そんな、重層的な作品であって。…その事を、まず何にも先駆けて示してくれたのが、この仲上家というわけです。その仲上家の「見方」を、1話を使って紹介。

 放送当時、特に一月の初旬〜中旬あたりにかけての僕の「とるてあ」への反応は、まず何より「とるてあの建物になら抱かれてもいい」でした。今振り返っても、我ながらこれは良い発言だったんじゃないかと思います。ちょっと危ない発言でもありますが(笑)。この仲上家という舞台の圧倒的な存在としてのエネルギーに、その土台の上で繰り広げられるドラマの一つ一つがとても生々しく見えたものです。仲上家が、作品のカラーを最初に決定づけたんじゃないかとも思います。作品全体の背景なり美術を見渡してみても、制作会社PAWORKS本社があるという富山を舞台にしただけあって、ロケハンもしっかりと行われており、あらゆる景色が息づいて見えるのですが…何より、導入としての仲上家。なんとこの作品、第1話Aパートは眞一郎でも乃絵でも比呂美でもなく、背景5カットの連続から始まります。その事自体が、何よりも雄弁に、この物語における仲上家(背景美術)の重要さを物語っています。

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まず、物語は仲上家を正面から捉えたカットから始まります。
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ここまで。この5枚を、1段目、2段目左右、3段目左右という順序に「ABCDE」とでも振っておきましょうか。

 この後映像は眞一郎のイメージの中の比呂美、「君の涙を僕は拭いたいと思う…」へと繋がっていきます。最初このカットが映った段階では、当然視聴者の誰一人として、これらの場所が建物内のどこはわかりません。わかるはずがない。けれど、この時点で既に「オッ」と思った人はそう少なくないと思います。精密な美術に、ドラマとして使いやすそうな場所の数々(長い廊下、急な階段…)。作品の「本気度」を咄嗟に感じた人もいるのではないでしょうか。僕はといえば、残念ながら流石にそこまで敏感ではないものの、1話を観終わった頃にはすっかり上記の「とるてあの建物になら抱かれてもいい!」になってしまったというわけですね(笑)。何故1話を終えた頃、そこまで鋭くもない自分でもそう感じられたのか。それは、第1話の中で既に仲上家がフル活用されているからです。これが1週間置いてようやくの建物利用だったなら、こうは感じられなかったでしょう。第1話で、冒頭で美味しそうに見せた建物を、しっかり使いこなしてみせた。この時点で、「とるてあ」がその後どれほど芳醇な物語を紡いでいくかは、既にある程度保証されていたのかもしれません。…では、ここからは第1話を用いた「仲上家探検」です。頭の中に仲上家を作り、そこに生きる人々を感じ取りましょう。
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 これらは「FGH」。本作の主人公、仲上眞一郎が冒頭の自室での絵本描きから、階段を降りてきて登場。「F」は「E」を逆から観たもの。「G」はどこでしょう?この時点ではまだわかりませんが、眞一郎のすぐ後ろにも上り階段が見えますね。「A」でわかる通り大きな建物なので、階段が2つあるんだな…でもこちらを使わないという事は、眞一郎の2階の部屋は、「E」階段をあがってすぐのあたりにあるのだな…とりあえずはそのあたりまで意識すれば十分です。次に、「G」を眞一郎側から映したものが「H」。和室を一つ挟んで、パソコンで帳簿をつけている湯浅比呂美がいます。これはまさに「C」ですね。ご丁寧に比呂美がいる事で答え合わせをさせてくれているかのよう。「C」は眞一郎の視点と比べると比呂美も小さく、少し離れています。ここも覚えておきつつ、次へ。
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 「IJ」。比呂美と話し終えた眞一郎。角を曲がった途端、頭を抱えて自分を責める。さあ、答え合わせです(笑)。「I」と「B」の繋がりで、比呂美のいた帳場=「C」が、「B」から左を向いた場所に存在することがわかります。では「C」が「H」と比べ、比呂美から離れているのは何故か。それは「B」を観てわかる通り、ここは玄関らしく、真ん中に靴を脱げるような低い場所が存在するのですね。しかも右側から上がるよう設計されているのか、2段あり、かなり幅も広めです。「C」は、「B」の右側の、しかも更に和室(「H」の眞一郎の後ろにある襖を開けた、和室からでしょうか)から比呂美を眺めた事だ、というのがわかると思います。因みに「J」だけは1話では謎のドア。襖が多い建物にあって、洋式ドア…トイレのように、間違って開けては問題になるような…と、答えを先に行ってしまうと、ここは比呂美の部屋なんですね。恐らく今書いた通り、年頃の少女に割り当てるべき部屋はどこか?という事になって、ドアがある部屋を選んだという順序だと思いますが、運命の悪戯か…この部屋がなかなか面白い場所にあり、比呂美という人物を形作っていく上で、地味に意味をもってきていると思います。
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 「KL」。嘆いている眞一郎をじっと観ていた我らの(?)丁稚くんこと、「酒蔵の少年」。彼を誤魔化すべく「屈伸だよ」とワケのわからない言い訳をかましつつ(丁稚くん、まるで疑いを持ってないんだよな…清い、清いよ…或いは本質的に賢くて、他の登場人物と比べて「分」を弁えていたのかもしれない)母のいる居間に夕飯を食べに現れた眞一郎。ここまでの一連を追う事で、全く説明されていない「流れ」が見えてきます。まず「K」の奥の方に角度の急な階段があります。そう「E・F」の階段です。そして「L」の襖を開けた眞一郎、その後ろに注目してください(探偵ゲーム?w)…ドアが見えますね?丁稚くんとの会話からワンカットも挟まずこのカット、という事からもわかるのですが、「K」のすぐ左を向けば「L」という事です。 ※これは1話ではわからない事ですが、つまり比呂美、居間の真ん前に自室です。部屋を一歩出れば気を抜けない世界で、居候としてこんなに窮屈なポジションもないでしょうね…というのは、今回においては余談です。さらに、食卓には四膳。眞一郎に比呂美、父母…丁稚くんはやはり、時間をずらして或いは別の場所で取っているのでしょうか。眞一郎との会話を見るに、くだけた会話をしながらも敬語を忘れない。仲上家とはそれなりにキッチリとした関係がとられているようです。

 ここまでの眞一郎を辿って見えてくるのは以下のとおり。絵本を描いていたものの、あまり上手い事いかなくて詰まっていた中、時間も時間なので夕飯を食べに下に降りてきた。そのまま居間に入れば最短ルートなのに、比呂美がいるんじゃないかと思って、わざわざ居間を通過して帳簿を覗きにいった。(そして、それ以外に帳簿に行く理由なんて無いのに、第一声が「何、してるの」です。見ればわかるだろう!)…どうでしょうか。建物を追うのは確かに楽しい行為なのですが、それだけに留まらない、眞一郎のいじらしさとでも言うのか、彼の比呂美への踏み込みたいけど踏み込めない、忸怩たる思いが見えてくるのではないでしょうか。これが冒頭の「君の涙を拭いたいと思う」→「拭った頬の柔らかさを僕は知らなくて」に直結します。心は彼女の方を向いているのに、術を知らない。或いは、自分が何をしてあげられるかの想像がついていないんですね。…こういう、気の遠くなるような積み上げを、セリフ以外の所で繰り返す。ここに「とるてあ」の真実はあります。…この日の締めくくりとして、夕飯後部屋に戻った眞一郎のカットで、眞一郎の部屋の位置もわかるようになっています。
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 「MN」。食事後、電気がつく部屋があります。この後絵本描きを再開するのですが、ここで「眞一郎が部屋に戻った」を表現したいだけであれば、眞一郎にそれこそ「E・F」の階段を登らせた方が明確。ただし画的には繰り返しの行き帰りという感じで、面白みに欠ける上、情報的にも上塗りのみです。…そこを電気一つで表現する事で、同時に眞一郎の部屋の場所も示し、それがまた地道な存在の積み重ねになっていく。1話のコンテを切った西村監督の意図が見えてくるようです。ちなみにこの「M・N」、左下の木はサイズ的にもおそらく「D・E」に映っている木で、このあたりに中庭らしきものがあるのだろう、という事が感じ取れます。「A」でわかる通り、普通に正面から仲上家を眺めた時、こんな木はありませんからね。※このあたりでそろそろ「D」が見えてきますが、とりあえず保留しておきますね。
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 「OP」。翌朝。朝早く登校していく比呂美と、それを2階から見下ろす眞一郎(「O」は眞一郎視点で、「P」の窓に事実眞一郎が)ここで、彼女が中庭から登校していっている、という事がわかります。「B」は明らかに玄関ですが、「B」を使うと中庭は使わない。ここで仲上家を正面から捉えた「A」に戻ってみると、Aの画面右下に、開いた戸と、その奥にうっすらと緑が見えます。そう、「B」の玄関は立派な玄関で「A」の中央にあり、普段は使っていないのではないか。比呂美(眞一郎も?)が登校に使っているのは、その「B」ではない玄関からの通用門だ、という事が見えてくる。中庭に面していて、出入りができる戸がある…そう「D」です。「D」の画面下、よく見ると靴を脱ぐ作りになっています。そして、その右にある戸が、簡単な通用口になっている。ここで「D」から比呂美が出てきた方向などを照らし合わせると、Dの場所も完全に見えてきますね。「E・F」から「K」や「L」つまり比呂美の部屋や居間に行く途中の廊下を左折すればいい。「K」の丁稚くんの後ろにあるのがまさにそれで、逆に「D」から見れば、左に曲がればすぐ比呂美の部屋と居間がある、という事です。
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 「QRS」夕方、学校から帰宅してきた眞一郎。眞一郎もこの小さな通用門を使っている事、そして学校が門を出て左側の方向にある事がわかります(笑)。これは積み上げ度ゼロと言っていい遊びのゾーンですけど…とはいえ、こういう事実を一つ一つ、とも言える。これで別のシーン、右の方向に登校していったら興ざめもいいところですからね。さてポストを覗いた眞一郎が見たのは、「D」(「Rの後ろに見える」)の反対側にある「S」。こちらには、父と丁稚くんが仕事をする作業場。この直後をはじめ作中何度か登場するものの、「眞一郎は眞一郎、仲上は仲上」と言ってのける父なだけあって、この物語では作業場はあまり登場しません。少なくとも酒を造っている、という本来的な意味で使われているシーンは基本なく(最終回の丁稚と父の会話くらい?)主に作劇面では「眞一郎母のいない所で眞一郎父と話せる場」として存在しているようです。
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 「TU」。夜になって、まず「T」は仲上家について悶々と頭を働かせてきた人へのプレゼントのような、仲上家がわかる俯瞰。「U」は踊りの稽古から帰ってきた眞一郎。「B」の正面玄関を使っている事がわかります。母がいるのはまさしく「C」のカメラ位置付近。夜だから正面玄関を使ったのでしょうか?単純に、家を出て右側に稽古場があったのかもしれませんね。
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 「VW」…真ん中のはただの趣味なので(笑)左右のみでいいか…。さて「U」で帰宅した眞一郎、突き当たりを左に曲がったところで(つまり「J」と同じ場所で)服の匂いが気になり洗濯(脱衣)場へ。ここでお約束の遭遇をしてしまうのですが、眞一郎に好意的な解釈をするなら、最も「異性」として意識する比呂美の部屋の前で、そんな匂い等が気になるあたりが眞一郎君の可愛い所と言えるのかも。ところで「W」で眞一郎が慌てて飛び出てきた場所から脱衣場の正確な位置が判明しますが、その上で「V」に戻ると…眞一郎くん、脱衣場思いっきり電気点いてますよという(笑)。Wを経ないとまるで意味のない明かりですが、戻ってからみると味がありますね。さて、「W」の眞一郎から見て右側には、「J・V」(比呂美の部屋)ほど立派ではない簡素な作りながら、またも珍しい洋式のドア。このドアが使われる日は来ませんでしたが、恐らくはこここそがトイレという事になるでしょう。18禁アニメなら、この勢い(?)で朝はこちらで比呂美と遭遇するのでしょうが、残念(笑)!左手に見えるのは、位置的に奥の襖が食事をした居間。手前は、居間では料理をできない事から台所、と推測できると思います。(実際そう設定にあるんですけどね)


 いかがでしょうか。建物リフォーム番組でもない、思春期の少年少女を描く恋愛30分アニメの第1話なのに、驚くほど「間取りを感じられる」仲上家の存在感を感じ取れたでしょうか。偶然こうなった、という事は考えにくい。これは作画の、正しくはコンテ→レイアウト+美術による貢献の結果です。抜き出した画像一つ一つ見ていっても、楽にカメラを人物に寄せていく画作りがメインだったなら、いかに取りこぼすものが多いか。「L」の後ろのドアや「V」の奥に見える明かりなど、引いたカメラや俯瞰が容赦なく使われていますし、その背景情報がないとまるで成立しないものになっています。最初に抜粋した西村監督の発言でいうところの「セリフ以外の大量な情報」の正体の一つが見えるはず。背景への負担も恐れず演出目的の為に「苦労する」道を選んだ結果が、この仲上家の質感と「場」としてのリアリティ。PAWORKS堀川社長のインタビューによると、堀川社長から西村監督に、とにかく「作画面や表現的なもので妥協せず、やれるところまでガチンコでやってほしいとお願いしていた」(堀川氏インタビュー)そうで…その「(苦労させることで)PAスタッフを成長させる!」という堀川社長の野心と、西村監督という本来実写演出好きの監督に与えられた裁量の大きさが結びついて生まれた、大袈裟に言えば奇跡的な、謙虚に言っても魔法のかかった(どちらも大袈裟ですねw)フィルム、それが「true tears」であり、その事を他の何よりも真っ先にアピールしたのが、この「仲上家」であったのです。

 人物にカメラを寄せすぎず、一つ離れて「建物」を浮き彫りにするこの撮り方が生み出す、作品全体へのゆったりとした距離感。それが「とるてあ」の物語に与えた影響は計り知れません。この建物をはじめとした美術の大きな懐に抱かれる事で、少年少女たちの局地的な物語は、普遍的な青春の、一つのありうべき日々としての質感を維持する事ができた。これは本作の背景美術として志向された、「水彩画調」というスタンスも相俟って形成されているバランスです。全体的にはロケハンも行われ、緻密な背景美術であるにも関わらず、このかすかに靄がかかったような優しい色彩によって、これまた視聴者と作品の間には適度な距離感が形成される。俯瞰や離れたカメラ位置からの画作りが多い事から感じ取れるように、ある種の映像作品としての客観性がそこには存在していて…ストレートに人物の視点に寄る=同調するほど、主観的・情熱的なフィルムではない。けれど、色彩が表わしているように、全体のまなざしはとても優しく暖かい。そして、その中で登場人物達は真剣に、感情的に生きている…そんな熱と冷静さが織り交ざった「とるてあの質感」が形成されています。「とるてあ」を観る時は、いつもこうやって背景にまで想いを巡らせて、そこから得た、バランスの取れた視点を軸に物語を追っていって欲しいと思います。きっと、冷静かつ情熱的な視点でもって、とても楽しく「とるてあ」の素晴らしき世界を堪能できると思いますよ。

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