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zoom RSS 神戸守チェック?〜エルフェンリートと、コメットさん両第1話〜(再掲)

<<   作成日時 : 2009/08/28 12:55   >>

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手の指を開き、中指と薬指だけを閉じなさい。罪が犯される時。困難に出会った時。絶望の淵に立たされた時。その手を、痛み続ける胸に当てなさい  〜イグナティウス・デ・ロヨラ「心霊修養」〜
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 自分がアニメから遠ざかっていた時期の作品の中から、エルフェンリート第1話を観始めています。まだ観ぬアニメが沢山ある中、何故エルフェンなのか?それは同作品の監督、神戸守さんが手掛けたアニメ「コメットさん☆」のファンだから。ただ、一応ウワサでこの作品がグロアニメという事は聞いた事があったので、観る前から大体自分の反応は用意してあって(しますよね?w)。それは「神戸監督何やってはるんですか…orzコメットさんはあんな優しい作品だったのに…同じ監督とは思えないよ…グロすぎっす…orz」。←この「コメオタがっくり」ポジションで楽しんでいこう(※歪な精神の持ち主でスイマセン)と。ところが、1話を観終わった後、そこには予想外の「真っ当な発見」があったのです。


 エルフェンリートは、まぎれもなくコメットさん☆監督の作品でした。少なくとも1話では、驚く程そのことが感じられた。それを紹介することで、アニメーション演出家、神戸守さんを語ってみたいと思います。まあエルフェンが5年前、コメットさんが7年くらい前ですからねえ。今更ってのはあるんですが、それを理由に掘り下げを放棄したくはないなと。僕の中では今まさに「旬」なので、しばし冷やかし気味にお付き合いください。あと、単純に、コメットさんとエルフェンの1話って、妙に共通点が多いんですよ…脚本家が違う事もあって、どこまで意識しているかはわからないんですけど。その辺も紹介してみたいなと。


 コメットさん☆とエルフェンリート、ともに第1話は絵コンテ・演出ともに神戸監督。絵コンテと演出が同じである事で、脚本を咀嚼した先のコントロールはほぼその人が一手に引き受け。しかもそれが監督本人であったら…言うまでもないですね。神戸監督のアニメ作りは、そんなに一般的なTVアニメーションの作り方ではないので、1話は先ず自分の「形」を見せ方向性を示す必要もあり、大体の作品で1話絵コンテ演出をされているのだと思います。その監督のコンテ演出は、どこが特徴的かと言うと

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コメットさん。

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エルフェンリート。

 このサイズの画では探すのも困難ですが、どの画にも、キャラクターがいます。コメットさんの頃から、ファンの間では神戸守=実写的と言われていたのですが、単純な話、ロングショット(というか、もう、超ロングショットですね)、更にモンタージュの多用。これら断片的なカットを繋ぎ合せる事で、まずキャラクターの生きる「場」、舞台そのものの存在感を際立たせます。周りが存在感を得てこそ、キャラクター達のドラマは息づく と、いう類の意識が貫かれているのが、神戸コンテの特徴の1つではないでしょうか。アニメーションというものがフィクションだからこそ、その舞台は地に足をつける事で、「日常の中の非日常」であったり、「現実の中の非現実」を強調できるのではないかと…それはこの両第1話にも顕著ですね。その「非〜」の対象が、星力か殺戮かというだけの問題でしょう?些事些事
!w…コホン。

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 ですから、神戸演出にはロケハンが欠かせないと思うんですよね。ゼロからの創出で、監督の望む背景美術効果を生み出すのは相当難しい。コメットさんとエルフェン、ともに舞台が歴史があり、特徴的で、趣のある鎌倉であるのも、神戸監督の拘りが感じられます。まあ、エルフェンは原作時点で鎌倉が舞台だったわけですから、監督が決めたわけではないんですけど。少なくとも彼にとって、鎌倉という場所は、願ったりの舞台だったと言えるのではないでしょうか。ちなみに、画像は由比ガ浜。左がコメットさん、右がエルフェンリートです。

 ※余談ですが、コメットさんは東宝の方針で「鎌倉なのに、神社仏閣を前面に押し出せない」という枷があったようで。そのリベンジか、神戸監督エルフェン1話から地蔵を出してきます(笑)。


 さてこの両1話、何故か?ワザとか?構成的にもかなり近似のものがあります。優しさと温かみに満ち溢れたコメットさんと、陰惨さとあざとさに満ち溢れたエルフェン(どちらも、僕の勝手なイメージです)の作りが似ている?どういう事だろう?単純に「神戸監督の手癖なんです」という結論にしても、それはそれで面白そうなんですけど、ここで敢えて別の可能性…つまり「登山口はもう真逆も真逆なんだけど、表現したいものはそこまで違わないんです!」by俺の中の神戸監督 という、ちょっとムチャな読みをしてみたいと思います(笑)。題して「にゅうとコメットさんは、中指と薬指を閉じる」。

 この記事の一番最初に貼った二枚の画を見てください。特に右、エルフェンリートのOPでにゅうが取っている・・乳首!とかじゃ!なくて!(笑)手。エルフェンリートはその歌曲からとられたタイトル、OPが全般クリムトの絵画をアレンジしたものである事から、例えばエヴァのように「引用」に思いが及ぶ事が多く、すっかり有名です。そも、左と比べてポーズも極めて正確です。最初に書いた通り、これは初代イエズス会初代総長でもあるロヨラによる、書物に書かれたれっきとした動作であり、その書物をこよなく愛した画家、エル・グレコがよくこの手の形を描いた事で知られています。はっきり言って、生粋のエルフェンリートファンがこの画を観たら「左の方、こじつけてんじゃねーぞ!!」とお怒りになる方もいるのではないかと思います…すいません(笑)。でも、コメットさんは前述の通り、視聴者層や、加えて海外輸出も意識して神社仏閣すら出さない方針だったわけで、描くにも限度がある作品ではあったんですよね。控えめにですが、間違いなくコメットさんは中指と薬指をくっつけ、中指と人差し指(薬指と小指)の間は開いています。やってみればわかりますけど、これはそんな自然な形ではないのです。更に何よりの証拠として(証拠あるなら最初から言えよ!)このカットではありませんが、初めてコメットさんが星の子たちに「祈る」シーンで、神戸監督はコンテに「エル・グレコのイエスの手」と思いっきり明確に書いているのです。(だから、じゃあ遠回りするなよw)


 コメットさんは「魔法少女モノ」として語られる事の多い作品ですが、一方で、魔法を行使する立場ではありません。だから彼女はエル・グレコの手の形を取り、こう呟きます。「幾千億の星の子たち 綺羅星の輝き そして数多の力を どうか私の星力に変えて エトワール」つまり、ほしぢからを「お願いして」「使わせてもらう」立場なんですね。困った時、助け合う気持ちの連鎖・循環。それを「輝き(星力)」として描いていたのがコメットさんなわけですが、それは冒頭のロヨラの文言にあわせるなら「困難に出会った時。絶望の淵に立たされた時。」に相当します。コメットさんには残りの部分「罪が犯される時」は似合いませんが、これを追加すれば、エルフェンリートの殺戮生物、ルーシィことにゅうにも当てはまるのではないでしょうか。そう、彼女も許されざる命でありながら、エルグレコの手を…つまり、祈っているのです。1話のコンテ的に近似の部分が多いのも、僕にはそんな「コメットもにゅうも、同じような視点で観てあげて」という主張にすら思えてくるのです。では、そんな2人の、春、鎌倉に訪れた、あどけない年頃の、ピンクの髪をした少女を追ってみましょう。
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 2人とも、Aパート丸ごとあるいは半分強を使い、まず鎌倉にたどり着きます。片や王子様探しと地球旅行気分でワクテカ、片や人殺しまくった挙句頭に対戦車用徹甲弾食らって海に投げ出され流れ着いたワケですが〜。…。些事です!些事なんだ(笑)!鎌倉についた2人は、そこに存在する「現実」あるいは「日常」「常識」などのギャップから、傷つきます。左=コメットさんは無邪気にハンバーガーを注文するものの、お金がなくてスマイルしかもらえず(1枚目)、悪意なく試食で腹いっぱいにしようとしたらおばちゃんに叱られ(2枚目)、落ち込みます(3枚目)。右=にゅうは妹の形見?である貝を手に落ち込んでいるコウタを見て、悪意なく彼の悲しみの
元を断とうとしてニコニコと貝を割り(1枚目)「出てけ!」とムチャクチャどなられて(2枚目)、落ち込みます(3枚目)。

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 朝は晴れ渡り桜も綺麗だったのに、夜の帳も降り、彼女達が途方に暮れ1人外で佇む頃、その心を映したかのように天候が悪化します。(両方時計のカット、しかも時間同じくらい…何このシンクロ)。ここで初めて違いが出ます。コメットさんは「困難に出会った時」祈るべき星の子たちが雨雲の中見えず、涙している中藤吉家に出会います(3枚目)。1話で彼女達が何か会話をする事はないのですが、このショットを観ているだけで、ああ、藤吉家は地球における「星の子」なんだ、コメットさんはもう大丈夫なんだ、と視聴者に伝わってくる。全くもって、コメットさん1話は神がかりなデキです…ってコメオタ脱線w…一方にゅうはと言うと、彼女は雨の中、嗚咽するカットのまま1話が終了します。彼女には容易に「藤吉家(=コウタ?)」は現れなかったんですね。これは、彼女の(物語の)この先の苦難の道を物語っているように、僕には思えます…。

 どうでしょう。当初グロさに意識をもっていかれると予想していた僕が、グロ画像を一枚も貼っていません(笑)。神戸守、あるいはコメットさんという視点を偶然持っていただけで、一つのアニメが全く別の顔を見せるのです。アニメって、本当〜に、面白いですね…サイナラ、サイナラ、サイ(ry
って!w一応出だしは「神戸監督」繋がりだったので、最後に神戸監督に話を戻しますね。コメットさん1話のラスト数分、或いはエルフェンの1話冒頭でそうだったように、彼の映像作りの真価の1つは、モンタージュを多用しつつも、1つの長い楽曲をほぼフルでそのまま流す事で、音楽との付かず離れずの不思議な調和を見せ、結果、断片繋ぎなのに何故か長回し感が出る、という特徴があるように感じています。でもこれって、楽曲の充実が不可欠なんですよ。典型的な劇半=喜怒哀楽に即したBGMなんかではまるで足りないわけで、心の奥を俯瞰してみせるような、音楽からのアプローチが必要なんです。コメットさんでは、幸運にも小西香葉さん、近藤由紀夫さんとの出会いがあり、2人の素晴らしい楽曲が、神戸監督の演出方針と幸福な合致を見る事ができました。だからこそ、エルフェンの音楽もこの2人が手掛ける事になったのでしょう(更に言えば、次の「アイズピュア」もこの2人じゃん・・・)もう、怖くてなかなか他の人に音楽頼めないと思うんですよね(笑)。つまり神戸演出というものは、脚本だけでなく、ロケハンと、更には音楽も十全に応えてくれる環境じゃないと発動しない、条件の難しい演出なのではないかと。他の演出さんへの伝達も難しいですしね。コメットさん☆でも、辛うじて神戸テイストを汲めていた演出さんは佐土原武之さんという方だけだったように感じていますし、その方がエルフェンにも参加している事からするに、神戸テイストって、TVシリーズ通しての徹底は難しいと思うんですよ。

 そう考えていくと…何か、神戸監督はOVAや映画の方が向いてる気がするなあ…守繋がりで、「時をかける少女」の細田じゃない神戸守版が観たいのは、きっと僕だけじゃないと思うよ?…世界に3人くらいはいると思います(笑)。
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最後の最後にオマケ。2人の両手はむぅショット。グロが苦手なコメオタ同胞よ!今更でも、一緒にエルフェンを観よう!うん!俺はここから残り10数話、頑張る!TVの前、裸で正座、勿論手は「エル・グレコのイエスの手」で!

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